小村の言行録、つづく。 駐米公使として赴任するため東京駅を発つとき、郷党の後輩が、 「ご感想はいかがです」 と、聞いた。小村は、 「星さんのあとだからな」 とだけ言って、哄笑
した。前任者の星亨は専門の外政家ではないから各国の外交団とも付き合っていない、自然、畑は荒されていない、つまり 「後任者としてやりやすい」 という意味であろう。 彼はその夫人を伴わず、小村家の書生あがりである工学士桝本卯平ますもとうへいと料理人兼執事の宇野弥太郎の二人を連れて渡米した。夫人は強度のヒステリーで、小村との仲はふつうの夫婦のようではなかった。 アメリカ在任中、外務省の同僚である加藤高明が英国から帰任途上、ワシントンに寄った。加藤は夫人同伴であった。ついでながら加藤の妻女は三菱の岩崎家の出である。 小村はこの加藤夫妻のために公使館で歓迎会を開いた。その席上、加藤は小村の顔をじろじろ見て、 「相変らず薄ぎたないな」 と、言った。小村の口の悪さも定評があったが、加藤はそれ以上だった。 「酒ばかり飲んで豪傑ぶっているのもいいかげんにしろ。細君を呼んだらどうだ」 その加藤の言葉に、その夫人が尻馬に乗った。 「ほんとうにそうでございますよ。こんど日本に帰りましたら私ども、奥さまにぜひ渡米なさるようおすすめ致します」 彼女は、外交官夫人としてはほとんど申し分ないほどにその対人接触の感覚が洗練されていた。 が、小村は口ひげから酒のしずくを垂らしながら、 「そいつはまあ、ごめんこうむりましょう。みっともない面つら
の嬶かか ァをひきずりまわして世界中恥をかいてまわるのはまっぴらですからな、あっははは」 と、笑いとばした。 さすがに加藤もその夫人も青くなった。みっともない嬶ァというのが加藤とその夫人に対するあてつけであることは、むろん一座のたれにもわかった。 小村には外交官としての典雅さなど少しもなかったし、また官僚として自分の評判を顧慮するようなところは少しもなかった。 「正直は最上の政策である、と言ったワシントンが、おれにはたれよりも偉い政治家だったように思える」 と、小村は渡米中つねに言った。真之も、しばしば聞いた。 「彼は独立戦争の党派争いの中にあってただ一人超然とし、米国主義を掲げた。米国以外に彼の関心はなかった。また彼の外交はうそをつかない。他国もついにワシントンはうそをつかぬということを信ずるようになった。うその外交は骨がおれるし、いつかはばれるが、つねに誠をもって押し通せばたいした智恵も使わずにすむ、外交家としてもワシントンは偉大である」 |