マハンが真之に伝授した内容は、次のようなことどもである。 「海軍大学校に入校することを断られたそうであるが、外国人入校の先例がないことだからそれはやむを得ない。しかし海軍大学校といっても、そのかんじんな教育課程はせいぜい半年である。その程度の時間で海軍戦術を学びきることはむずかしい」 「だから、みずから研究するがいい」 「その研究方法は」 と、マハンは言う。 過去の歴史から実例を引き出して徹底的に調べることである。近世や近代だけでなく古代もやる方がいい。戦いの原理に今も昔もない」 「陸と海の区別すらない。陸戦を調べることによって海戦の原理も分かり、陸戦の法則や教訓を海戦に応用することも出来る」 「陸軍の兵書のすぐれたものはことごとく読むことである。陸軍の兵書で推薦できるのはジョミニ
(仏人) の 『戦争の技術』 Atr of War がいい」 「エドワード・ハムレー (英人) の 『作戦研究』 Operations
of War も陸軍書ながら役に立つ」 「その他、雑多の記録も読む必要がある」 「それらの書物や記録は、おそらく個人としてはなかなか手に入りにくいかと思う。それらはすべてワシントンの海軍省が持っている。海軍省の三階が書庫になっている。その閲覧を自由に出来るよう、私が海軍省情報部のパーカー大佐に連絡しておく」 ──
おれから得た知識を分解し、自分で編成し直し、自分で自分なりの原理原則を打ち立てることです。自分で立てた原理原則のみが応用のきくものであり、他人から学んだだけではつまりません。 とも、マハンは言った。 (おれの考えとよく似ている) と真之は思った。 真之はその後、一度だけマハンを訪ねたが、そのときは雑談だけでおわった。二度目は雑談だけでよかったほどに、真之はマハンの口から学ぶべきものは学び終えていた。あとは自分でやって自得するしかない。 「マハン大佐の助言によれば」 と、真之はこの時期、日本にいる同僚に手紙を書いている。 「戦略戦術を研究しようとすれば海軍大学校におけるわずか数ヶ月の課程で事足るものではない。かならず古今海陸の戦史をあさり、その勝敗のよってきたるところを見きわめ、さらには欧米諸大家の名論卓説を味読してその要領をつかみ、もって自家独特の本領を養うを要す、と」 真之は、そのとおり実行した。ワシントンの海軍省の玄関には、ふるい艦載砲が装飾としてすえられている。真之はN街一三一〇番地の日本公使館からその艦載砲のある海軍省まで毎日通った。 夜は夜で、公使館の三階の私室で、寝るまで読書した。夜の読書時間は、公刊書を読むことにあてた。最近公刊されたものに、マハンの論文全集があった。ほとんどはかつて読んだものだが、あらためて読みかえした。日露戦争の海軍戦術はこのワシントンの日本公使館の三階から生まれたと言っていいであろう。
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