定遠の様子については、この艦に乗っていた英国人顧問テイラーの報告がある。 テイラーはこの五日の夜、司令長官丁汝昌の部屋で作戦について協議していた。 午前三時三十分、港の東方にあたって幾すじかの火箭
があがった。港内にいた清国艦隊のうち、どの艦かが発砲した。 「日本の水雷艇が来たのではありませんか」 と、丁は言った。 どういう場合でも、この名将といわれた人物は驚きの表情をあらわにしたことはなかったが、この時もそうであった。彼はテイラーと共に上甲板じょうかんぱんへあがった。 海面は暗く、何物もみとめ得ない。各艦は海面に向かって大小砲をむやみに射っている。テイラーは敵の存在を確かめるために砲撃をやめさせたが、しかし硝煙が海面を覆って依然として何も見えず、そのうちに砲手たちが勝手に砲撃を再開した。射っていることによってかろうじて恐怖を鎮めることが出来たのであろう。 テイラーは走り、原基羅針盤台げんきらしんばんだいにのぼって海面を凝視したとき、くろぐろとした物体が二つ、白波を光らせて迫りつつあった。 日本水雷艇である。うち一隻は三百メートルにまで接近し、魚雷を発射し、左の方へ旋回しようとしたとき定遠の発した一弾がこれに命中し、たちまち白い蒸気が闇の中にあがるのが見えた。この瞬間定遠の艦底に轟音がおこり、艦は激しく震動した。 丁汝昌はすぐ防水扉を閉めることを命じたがすでにおそく、海水は昇降口から流れ込み、艦体は大きく傾き、士官室での浸水が一尺に達した。 浅瀬に擱座かくざ
させるべきでしょう」 と、テイラーは進言した。 それには艦を動かさなければ鳴らない。いそいで錨を切ってすてた。 艦は、南へ進んだ。しかしいよいよ傾きがひどくなったため、港内劉公りゅうこう
島の岸へ近づけ、その浅瀬へ乗り上げて静止させた。 翌六日。 その明け方、日本の水雷艇数隻が再び侵入して来た。 「数隻」 というのは清国側の記録だが、正確には第一艇隊の三隻であった。この三隻があわせて魚雷七つを放ち、来遠と威遠を撃沈し、ほか水雷敷設用の汽船である宝筏ほうばつ
を沈めた。 どの艇も二百メートル以内まで近づいて発射した。日本魚雷の射程はわずかに三百メートルであり、いわば短刀兵器といってよかった。 さて、定遠は擱座した。 その動かぬ艦に乗り組んでいることについてこの艦の兵員が動揺し、士官を脅迫きょうはく
したりしたため、丁汝昌は反乱を恐れてそれらを陸上に移し、自分は鎮遠に乗り換え、それを旗艦とした。 鎮遠はなお浮かんでいる。しかしすでに港をめぐる陸上砲台のほとんどは日本陸軍に占拠されており、これ以上戦闘を続行したところで、勝算はなさそうであった。
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