真之は松山じゅうの腕白小僧が束になってやって来ても平気なほど向
っ気き の強い男だったが、この好古兄貴だけがどうにもならぬほどこわかった。こわいくせに、この世のいかなる人間よりもこの兄という人間に興味と関心が強かった。 「兄あに
さん、なんで茶碗が一つじゃ」 と、おそるおそる聞いてみた。 「一つでよかろう」 好古は、親指を茶碗のはしにひっかけて酒をあおっている。山賊の若大将といったふうであった。鼻が日本人ばなれしたほど高かったために、松山でもこの信三郎好古のことを、 「鼻信はなしん
」 と、ひとはかげぐ口を言った。両眼の眼裂きれ
が異様に長く、色白で唇が赤い。めずらしいほどの美男であったが、好古はなにが嫌いといっても自分が美男であるということを人に言われるほど嫌いなことはなかった。この点でもこの人物は目的主義であり、美醜は男にとってなんの意味もなさずと平素へいそ
から言っており、男にとって必要なのは、 「若い頃には何をしようかということであり、老いては何をしたかということである」 というこのたった一つのことだけを人生の目的としていた。 好古はそう弁じ、 「だから茶碗は一つでええ」 と言う。 「しかし兄さん、櫛くし
はお持ちじゃろうが」 と、真之は兄に肉薄した。兄はぶしょう・・・・
者のくせに髪をきれいに分けている。 「持たんな」 「しかし兄さん、お髪ぐし
がきれいじゃが」 と、真之は好古の頭を指さした。そう言われて好古は右ひじを上げ、指をもって頭髪をかいた。が、鳥のにこげ・・・
のようにやわらかそうなその髪はべつに乱れることなくきれいにしずまっている。寸法の長いその髪は自然の曲線ウエーブ
がついているために指で掻きあげるだけでちゃんとしずまるらしい。 この点でも、この人物は日本人離れした骨相だったと言えるであろう。余談だか、彼が日露戦争後、ロシアのコサック騎兵の大集団を破ったことで世界の兵学界の研究対象になり、多くの外国武官が日本に見学にやって来た。その武官の中には、 「日本の騎兵がコサックを破れるはずがない。おそらく西洋人の顧問がいるにだろう」 と疑う者があり、彼らが千葉の陸軍騎兵学校に行くと、はたしてそれを見た。そこにいた秋山好古である。好古の顔を見て、 「やはり、西洋人がうた」 と、彼らはしきりにうなずき合い、好古が日本人であることを容易に信じなかったという。 真之のめしが終わった。 好古は、なおも飲んでいる。 |