第二十一回 関西クラウン吟詠家
ジ ョ イ ン ト リ サ イ タ ル
平成十九年八月二十六日 (日) 於:尼崎アルカイックホール 
主催:日本クラウウン関西吟友会
後援:日本クラウン株式会社




伊藤 「井上君、金子君。ついに完成しましたぞ。アジアで最初の憲法が」
風は次第に日本の世界進出を促した。
明治二十七年の日清戦争は一方的な勝利で集結。ところがロシアは日本の大陸進出を危惧しドイツ、フランスを誘って横槍を入れてきた。
当時の日本はロシアと一戦を交わえるだけの軍事力がなく、懸命の外交努力も空しく清国の領有権を放棄せざるを得なかった。
以来、日本国民はロシアの横暴に対する敵愾心と復讐心が胸中深く醸成させられていった。

ロシアは清国に対し露骨な侵略をし始めた。
ロシアの不穏な行動は日本に大きな不安と恐怖を与えた。やがて、沸騰する世論と軍部の突き上げに政府は最後の決断を迫られた。

閣僚 「事、ここに至りては、実に止むおえざるを得ざるが故に、帝国政府は妥協に至る望みなきを以って、これを断絶し、自衛のため、並びに帝国既得の権利および正当利益を擁護するため必要と認める独立の行動をとるべきことを露国政府に通告し、併せて軍事行動をとることを緊要なりと思考す」
明治三十七年、緊急御前会議はついに最後の斷を下し、ロシアに対する国交断絶と開戦が決定された。
天皇は日露戦争にあたって次の御製を詠んだ。

四 方 の 海
(明治天皇)
吟:岸田 蘭山・牧野 笙山
四方の海

   みなはらからと 思う世に

など波風の

   立ちさわぐらん

四方の海

   みなはらからと 思う世に

など波風の

   立ちさわぐらん

御前会議終了後の同日、山本権兵衛海軍大佐は連合艦隊と第三歓待の司令長官に出撃命令を発した。
この日露戦争に出征するに際し、その覚悟を兄、後の海軍少佐・勝比呂に次の詩を述べた広瀬武夫の姿があった。

家兄に寄せて志を言う
(広瀬 武夫)
吟:中山 緑山・為房 水陵
勤王の大義太だ文明

報国の丹心七生を期す

伝家一脈遺風在り

誓って名声を挙げん弟と兄と

旅順口攻撃。広瀬武夫中佐は福井丸の指揮官である。
福井丸は魚雷攻撃を受けて沈没。乗組員をボートに移乗させたが一人行方不明者がいた。
「杉野、杉野」 船内を捜索した広瀬はあきらめてボートに乗り移った。
その時、一発の砲弾が中佐に。
乗組員 「中佐殿おおお・・・」

広瀬 武夫
(鈴木 豹軒)
吟:白波瀬 緑斎・渡辺 紘山・石原 昌風・平 水昂
杉野杉野汝何くにか在る

索めて艙内より艙外に至る

再び杉野と呼べば風怒号す

三たび杉野と呼べば浪滔々

艦は惜しむに足らず士惜しむべし

涕涙恨みを呑んで小舶に下る

敵弾一発夜を照らして紅なり

鮮血衣に灑いで帽空しく在り

君見ずや壮烈無双広瀬少佐

敵軍之を聞いて胆先ず破る

天明け海平かにして紅燉昇り

敵軍礼を尽くして忠魂を葬る

山本 「東郷君。君は実戦経験も豊富であるし、国際法にも精通しているので、陛下に連合艦隊司令長官就任を願い出たよ。東郷君は運の強い男ですとな」
東郷率いる連合艦隊は仁川港と旅順港の奇襲攻撃に成功し旅順口閉塞作戰・黄海海戦・バルチック艦隊の潰滅など、その手腕を発揮した。

日 本 海 海 戦 を 想 う
(松口 月城)
吟:山岡 翠山・北浦 絹山・福田 燿山
皇国の荒廃此の一戦

三笠檣頭Z旗飜る

名将東郷胆斗の如し

神謀鬼策機先を制す

况んや又全軍必勝の気

巨砲爆雷威力鮮やかなり

進寇の艨艟悉く殲滅

日本海上浪天を拍つ
〜 〜 N e x t 〜 〜