〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
2007/02/24 (土) ブロードウェイの行進 @ 

さて、これから十何回かにわたって、 「明治」 という国家のお話をします。
喜んでこれをやろうというわかじゃないんです。ただ、私は、ずいぶん幕末から明治にかけての時代を、小説として書いてきました。ほぼおわって、(というのは、そういう年齢になったということです) もう明治について書かないだろう、そういうときにあたって、自分が得た 「明治国家」 の像をお伝えするのは、自分の義務ではないは。誰から与えられた義務でもありませんから、ちょっと滑稽なのですが。ついでながら、明治は、近代日本語をつくりあげた時代でもありました。たとえば、いま私が申し上げた
「義務」
あるいは権利。この二つの言葉も、明治国家が翻訳してくれた言語遺産です。手放しでいうわけではありませんが、明治は多くの欠点を持ちつつ、偉大としか言いようがない。
ちょっと、愚痴っぽい事を申し上げます。私は昭和十年代の後半、文科系の学生でした。国家がそれを必要としたために、私どもは学園の中から、そのまま軍隊に入りました。このことを、居間振り返って、天に感謝したい気持ちでいます。軍隊はむろん国家の重要な一部ですが、その一部の中にいて、当然ながら死ぬつもりでいました。軍人は死ぬための機能なんです。
同時に味方による破壊音 (詩的な表現としてですが) も聞きました。国家を叩き壊している音でした。
そのハンマーをもって駆け回っているのは、国家が大掛りな試験でもって採用した高官達 (軍人・文官を問わず) でしたまたお調子の乗っている新聞人や学者や軽率な思想家も加わっていました。
明治の遺産である自分の国家を自分で壊すことがあっていいものか、そう思う気持ちを私に抱かせたのは、私が、戦車という固まりの中にいたということもあるでしょう。
戦車は、国家の一部です。装甲の厚さ、砲の大きさ、そして全体を数量化して考える事ができるという、素朴リアリズムのかたまりです。いわば、明快な物体です。自分の物体というリアリズムを通して敵のリアリズムもわかります。

リアリズムといえば、明治は、リアリズムの時代でした。それも、透き通った、格調の高い精神で支えられたリアリズムでした。
ここで言っておきますが、高貴さを持たないリアリズム (私どもの日常の基礎なんですけれども) それは八百屋さんのリアリズムです。
そういう要素も国家には必要なのですが、国家を成立させている、つまり国家を一つの建物とすれば、その基礎にあるものは、目に見えざるものです。圧搾空気といってもよろしいが、そういうものの上に乗った上でのリアリズムのことです。このことは何度目かに申し上げます。
そこへゆくと、昭和には (昭和二十年までですが) リアリズムがなかったのです。左右のイデオロギーが充満して国家や社会を振り回していた時代でした。どいみても明治とは、別国の観があり、別の民族だったのではないかと思えるほどです。
右にせよ左にせよ、六十年以上もこの世に生きていますと、イデオロギーというものにはうんざりしました。イデオロギーを、日本訳すれば、 “正義の体系” といってよいでしょう。イデオロギーにおける正義というのは、必ずその中心の核にあたるところに 「絶対のうそ」 があります。
キリスト教では唯一神のことを大文字で God と書きます。絶対であるところの Dod 。絶対だから大文字であるとすれば、イデオロギーにおける正義も、絶対であるが為に大文字で書かねばなりません。頭文字を大文字で Fiction と書かねばなりません。
ここで、ついでながら、 「絶対」 というのは 「在ル」 とか 「無イ」 とかを超越したある種の観念ということです。極楽はあるか。地理的にどこにある、アフリカにあるのか、それとも火星か水星のあたりにあるのか。これは相対的な考え方です。
「在ル」 とか 「無イ」 とかを超えたものが “絶対” というものですが、そんなものがこの世にあるでしょうか。ありもしない絶対を、論理と修辞でもって糸巻きのようにグルグル巻にしたものがイデオロギー、つまり “正義の体系” というものです。
イデオロギーは、それが過ぎると、古新聞よりも無価値になります。ウソである証拠です。
いま戦争中の新聞を、朝の食卓でコーヒーを飲みながらやすらかに読めますか。
あるいは毛沢東さんの晩年のプロレタリア文化大革命のときの人民日報をアタリマエの顔つきで読めるものではありません。
ヒトラーの 『わが闘争』 を、研究以外に、平和な日曜日の読者として読めますか。
すべては時代が過ぎると、古いわらじのように意味をなさなくなるものらしいですね。
昭和元年から同二十年までは、その二つの正義体系がせめぎあい、一方が勝ち、勝った方は負けた方の遺伝子まで取り入れ、武力と警察力、それに宣伝力で幕末の人や明治人がつくった国家を粉々に潰しました。

まあそんなことは、このやびの主題ではありません。
しかし、作家というものは、天の一角から空をつかんでくるようにしては話せない。坐っている座布団の下から話さねば落ち着かない。話していることも、自分の感覚で確かに手ざわりがあることしか話せないし、話す気にもならないものです。
つまり私は戦車の中で敗戦を迎え、 “なんと真に愛国的でない、ばかな、不正直な、およそ国というものを大切にしない高官達がいたものだろう。江戸末期や、明治国家をつくった人達は、まさかこんな連中ではなかったろう” というのが、骨身のきしむような痛みとともに起こった思いでありました。
それが、これから何を申し上げるのか分りませんが、私の座布団の下につながる話です。

さて、このシリーズだけに適用する定義ですが、明治を語る上で、明治時代とはせずに、ことさら、
「明治国家」
とします。明治時代とすると、流動体感じになりますが、 「明治国家」 としますと、立体的ないわば固体のような感じがするから、話しやすいんです。
そんな国家、今の地球上にはありません。1868年から1912年まで四十四年間つづいた国家です。
極東の海上に弧を描いている日本列島の上に存在した国家でした。そのような感覚で、私は、この机の上の物体を見るような気分で語りたいと思います。

『司馬遼太郎全集・「明治」 という国家』 著・司馬 遼太郎 発行所・文芸春秋 ヨ リ