〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
2007/01/29 (月) 鬱 陵 島 A

○漣は一本マストで風を切って、どんどん近づいた。
鬱陵島が右に見える。午後四時四十五分、4千メートルの距離まで近づき、射撃を開始した。命中しなかった。ところがベドーウィは逃げてはいても、その砲門を開こうとしない。
「落ち着いたものだな」
と、艦長の相羽は敵の態度に感嘆して声をあげた。よほど近距離にならないと駆逐艦の射撃はあたらないのである。敵はそれを知っていると相羽は思ったのである。
しかし相羽は敵に対する観測を一つだけ欠いていた。敵の砲は覆いをかけられているのである。しかしそれを相羽の不注意とするわけにはいかなかった。戦闘中の駆逐艦が砲の覆いをかけっぱなしということがあるだろうか。
駆逐艦ベドーウィでは騒ぎが起こっていた。
合戦準備の命令も出なかった。たまりかねた兵員達は砲のしばへかけ寄り、覆いを取ろうとした。しかしすぐその動作が禁じられた。水兵たちは騒いだ。なかには小銃を持ち出してきて、弾込めをしている者もいた。おそらくこのまま捨てておけば反乱になったであろう。いざとなれば士官たちよりかれら水兵の方が愛国心が強烈だったというところに、帝政ロシアの構造の難しさがあった。
この国はこの当時の日本が既に国民国家を成立させていたのに、まだ王朝のままの状態でいた。士官は王朝の構成者であったが、水兵は単に民衆に過ぎなかった。民衆が正治を荷い、国家の安危を共同に分担するという政体が出来ない限り、近代にあっては他国と近代戦をやるというのは不可能であるかも知れなかった。
士官たちは八方に走って水兵たちをなだめた。
「自分が責任を持つ」
といった者もあれば、 「提督の命令だ」 といった者もある。事実,提督は命令していた。さらにもっとも興味ある理論を述べた者もいた。
「この船は駆逐艦ではない。病院船だ」
ということである。病院船である証拠には提督とその幕僚たちという負傷者が乗っている。というのだが、どの艦にも負傷者が無数に存在し、ベドーウィだけが病院船であるとはいえなかった。しかし病院船であるためには武装を無くすという形式をとらねばならない。その為に各砲の覆いをかけっぱなしているのである。
ベドーウィはついに機関を止めた。機関を止めるというのが戦闘時国際法による降伏の意思表示の一つである。と同時に、マストに万国信号を掲げた。
「ワレニ負傷者アリ」
この信号を漣から見ていた相羽少佐は混乱した。敵はすでに降伏しているのか、とはじめて気づいた。彼が見誤っていたことは、先刻、マストにあがった旗である。彼は戦闘旗だと思っていた。しかしよく見ると、それは食堂の白いテーブル掛けであった。
相羽は打ち方止めを命じ、伊藤という先任の中尉にみこうへ行かせることを命じた。伊藤は出かけて行ったが、言葉が通じなかった。絵の上手な塚本中尉は、英語にも堪能だった。
相羽は塚本をやることにした。この時期でもなお彼はあのブリキのような駆逐艦に提督が乗っているとは夢にも思わなかった。

この仕事は、よほどの勇気が要った。
塚本克熊中尉が敵艦に乗り込むために先方は人質として四人の士官を送ってきている。しかし敵艦内にいる兵員の中で、発作的にどういう行動に出る者が飛び出すかわからないのである。
塚本は銃剣を持った兵員十人を連れてベドーウィに乗り込んだ。
案外、武装解除はすらすらといった。上甲板はそれでよかったは、塚本としては艦内を全部検分しておかねばならず、艦の下の方へ降りようとした。
ところが、大きなロシア兵が 「入るな」 と遮るような態度を示した。塚本はかまわずに入った。ある部屋の入り口にも、ロシア兵が何人か立っていた。その連中が、拝むまねをして入ってくれるな、と哀願するのである。その連中が口々に喋っていたが、塚本にはむろん意味が通じない。ただ、
「アミラル、アミラル」
という言葉が、耳に引っかかった。英語で言う提督のことではないかと思い、扉を開けてはいると、薄暗い電燈の下で、頭を包帯で覆った人物がベッドに臥せっていた。軍服の金モールが見えた。その周りにも五人の金モールの人物が立っていた。塚本はまさかと思ったが、
「彼はロジェストウェンスキー中将であるか」
と、英語で聞いた。立っている金モールの何人かがイエスと頷いたので、塚本は戦闘中もおぼえなかった異様な戦慄が胴を走った。とりあえず本艦に手旗で連絡した。
「そんなはずがない、と私は思いました」
と、相羽の語った速記が残っている。相羽は提督が旗艦スワロフと運命を共にしたはずだと思っていたのである。
「つれて来い」
と、相羽は信号した。塚本はその信号どおりに金モール (幕僚) の一人にそう命ずると、その幕僚は拝むまねをした。提督は重傷の身である、という。
結局は曳航することにした。
ロープを渡す作業が終了して現場を出発したのは夕闇のせまるころである。
一晩、走った。
(万一の事があれば撃沈するまでだ)
と相羽は思っていたが、たしかに気味が悪かった。
もし敵の巡洋艦でも出現すれば駆逐艦などひとたまりもなくやられてしまう。
二十九日の夜が明けた頃、後方沖合いに巡洋艦が一隻煙をはいていた。みると、三等巡洋艦の明石 (275トン) だった。宇敷甲子朗大佐を艦長とするこの巡洋艦は駆逐艦や水雷艇の保護者として二十七日の夜以来、実に良く働いていた。相羽は迷子が母親に出遭ったような気がした。と語っている。すぐさま明石に全てを通報した。明石の宇敷艦長は驚き、これを無電で三笠に打った。
(本当だろうか)
と、真之はその電文を見ながら首をひねったほどだった。
海戦の水域で敵の司令官を拾うなどという話は先例にないことだったし、どういう空想小説の書き手でもここまでの設定は現実感を失うとして抑制するかも知れないほどの事実だったからである。
結局、ベドーウィを佐世保まで引っ張ってゆき、ロジェストウェンスキー提督を佐世保海軍病院に入院させた。

『司馬遼太郎全集・坂の上の雲B』 著・司馬 遼太郎 発行所・文芸春秋 ヨ リ