〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
2007/01/24 (水) 運 命 の 海 C

○東郷がやった敵前回頭については、
「海軍戦術一般の原則にはなりにくい。東郷をとりまいている諸状況のなかでのみ成立し得る特異例として考えるべきだろう」
という批評が、各国海軍筋のおおむねの感想であった。軌範外のやりかただとみるのである。
たしかに東郷自身が言うように、実戦の経験から出たカンが彼にこの方法をとらせた。
ロシア側は遠距離射撃が下手な上に風下に立っているために波しぶきをかぶり、砲の照準がしにくい。それに対し、日本側の主力はロシア側の主力よりも優速で、しかも艦長たちが艦体運動に長じているため、どういう状況下でも東郷の号令一つで東郷の思うような運動を展開することが出来る。
東郷は敵の不利と味方の有利を、彼我八千メートルというぎりぎりの瞬間で数学的総合をし、判断をし、とっさに決断を下し、断行した。このときの彼の計算には自分の戦死と三笠の沈没の公算も入っていた。
この敵前回頭という捨て身の運動中、三笠以下は艦隊のありたけの速力を出していた。運動に要する時間を出来るだけ縮めたかった。これに要した十五分という時間は、生と死を分ける魔の時間として無限に永いように思われた。三笠は一個のドラムに化したように、ロシア製の砲弾に叩かれつづけた。
むろん被弾は三笠だけではなかった。後続する敷島、富士、朝日、春日、日進も、この間射たれっぱなしに射たれた。
さらにそれから第一艦隊の後方に続いて波を蹴っている上村彦之丞直卒の第二艦隊にいたっては、装甲が弱いだけに被弾状況はすさまじかった。

旗艦三笠はぐるりとまわって新正面に艦首を向けたとき、三笠にとってバルッチク艦隊の艨艟四十余隻は右舷の海に広がったことになる。
彼我の距離はわずか6千4百メートルにすぎず、三笠以下が狂ったように急転するためにそれがみるみる縮まるように思われた。
艦橋にいる砲術長の安保少佐は左手に秒時計を持っている。右手で眼鏡をのぞいたり、艦橋のどこかをつかんだりした。艦がゆれた。波浪だけでなく、敵弾があたり艦体が動揺するのである。とこどき視野を奪われた。砲弾の炸裂煙のためである。
彼がこの運命の戦いで最初の射撃命令を下したのは、午後二時十分である。
右舷の大小の砲がいっせいに火を吐き、多くの砲弾がライン・ダンスのような均整の見事さで同時に飛び出した。その反動で艦体が撓むかと思われるほど軋んだ。
目標は敵の旗艦スワロフであった。
つづく敷島が回頭を終えて直線路に入ると、三笠同様に右舷射撃をおこなった。富士も同様であり、朝日、春日、そして殿艦の日進もそのようにした。
さらに出雲以下の第二艦体がそれを終了した時には、東郷の全主力は、各艦の片舷の諸砲あわせて127門の主・副砲が、バルッチク艦隊の先頭を行く旗艦スワロフとオスラービアをめがけて砲弾を集中させていたことになる。この意味ではこの戦術は数学的合理性のきわめて高いものであるといえた。
「水戦のはじめにあたっては、わが全力をあげて敵の先鋒を撃ち、やにわに二、三艘を討取るべし」
というのは、秋山真之が日本の水軍の戦術案から抽きあげた戦法であった。この思想は、外国の海軍にはなかった。
東郷は真之の樹てた戦術原則の通りに艦隊を運用した。
秋山戦術を水軍の原則にもどすと、
「まず、敵の将船を破る。わが全力をもって敵の分力を撃つ。つねに敵を包むが如くに運動する」
というものであった。
こにためロジェストウェンスキーの旗艦スワロフと、それと並航しているかのごとくにみえる戦艦オスラービアは、またたく間に日本の下瀬火薬に包まれた。その二隻をとりまく小さな空間は濃密な暗褐色の爆煙で包まれ、絶え間なく命中弾が炸裂するため爆煙のなかで、閃々と火光がきらめき、やがて火炎があがった。

東郷はかねて、
「海戦というものは敵に与えている被害がわからない。味方の被害ばかりわかるからいつも自分の方が負けているような感じを受ける。敵は味方以上に辛がっているのだ」
という彼の経験からきた教訓を兵員に至るまで徹底させていたから、この戦闘中、兵員達の誰もがこの言葉を思い出しては自分の気を引き立たせていた。
真之でさえこの戦闘中、東郷の言葉を思い出しては自分の気持ちを保った。
なにしろ東郷は、彼を補佐する真之が生まれた時には既に幕末から戊辰戦争にかけての数次の戦闘を経験した薩摩藩の海軍士官だったのである。
古今東西の将帥で東郷ほどこの修羅場の中でくそ落ち着きに落ち着いていた男もなかっただろう。
艦橋にいる砲術長の安保清種少佐は、誰よりも忙しかった。彼は目標の敵艦から目を離すことなく、当方が打ち出してゆく砲弾の弾着の状況を迅速的確にとらえては、伝令をくりだし、全砲火の射撃指揮をしていたが、その間、彼が気を使ったのは艦艇底に勤務している兵員のことだった。
艦底での配置といえば機械室、弾火薬庫、罐室などの勤務がある。彼らは戦闘を見ることが不可能であるため、不安が大きかった。安保清種はこれを察し、彼の義務以外のことであったが、射撃指揮の合間を縫っては、伝令を使い、戦闘の状況を艦内くまなく知らせていた。
たとえば、
「いま三笠の12インチ砲弾がボロジノにあたったぞ」
と、叫んだことがある。
東郷はこの時安保の後ろにいたが、東郷は笑いを含んだ声で、
「砲術長、今ンなァ、中っちゃ居らんど」 と、薩摩弁で言った。
じつは安保もそのことはわかっている。彼は東郷の方に笑顔を向けて、太い眉を下げた。
「ただいまのは、じつは激励の為にそう言いましたので」 と言った。

『司馬遼太郎全集・坂の上の雲B』 著・司馬 遼太郎 発行所・文芸春秋 ヨ リ