光源氏は、しょっちゅう 「かいま見」 をしている。今、かいま見ると言えば、たまたまチラッと目に入ってしまう感じだが、平安朝の貴族たちは、もっと意識的だし、積極的だ。当時は、女性が人前に出ることはほとんどなかったから、そうでもしないと、なかなか顔を見ることはできない。はっきり言って
「のぞき」 であり、 「立ち聞き」 であるが、そんなに罪深いことではなかったようだ。恋する (あるいは恋をしようとす)
男性にとっては、相手の女性を確かめるための、一般的な手法なのである。
光源氏が、物語のなかで最初にかいま見をするのは、空蝉と軒端荻 (ノキバノオギ)
が碁を打っている場面だ。
空蝉は、年老いた伊予介の後妻で。軒端荻は、伊予介の先妻の娘である。つまり義理の母娘が碁を打っているわけだが、こもときすでに、光源氏は空蝉と強引な契りを結んだ後だった。
その最初の無理やりの逢瀬のときから、空蝉は一貫してつれない態度をとっている。
光源氏のことが嫌いなのかというと、そうではない。が、自分のような中流の、しかも人妻の、しかも年上の、しかもたいして美人でもない女に、彼ほどの男が本気になるはずがない。ひとときの気まぐれで遊ばれるなんて、かえって惨めだ、という気持ちのようだ。
確かに、光源氏が空蝉に興味を持ったきっかけは、例の 「雨夜の品定め」 である。中流の女に、意外と掘出し物があるという話が、頭のすみにあった。
そういった背景を彼女は知るよしもないが、何かピンとくるものがあったのかもしれない。
「こんな状況、冷静に考えればおかしいわ」
客観的に見ればその通りだが、普通の女性なら、そう冷静にはなれないところだろう。実際に光源氏に抱きしめられて、ああだこうだと愛の言葉を囁かれてしまえば、ぽーっとなり、勘違いして、自惚れてしまっても仕方がない。逆に、そうならない空蝉という女性は、とても謙虚で、人の心の動きを見る目がある。
しかし恋愛の常として、彼女が冷たくすればするほど、光源氏はのめり込んでしまう。こういう場合、自分に自信のある人ほど、症状は重い。どうしても、もう一度逢いたいと恋い焦がれ、空蝉の弟である小君を手なずけて、手紙をおくったり、手引きをさせたりする。
その手引きも、一度目は失敗に終わった。こうなったら、もう意地である。さたにしつこく光源氏はがんばって、そして実現したのが、囲碁をする二人の女性のかいま見だ。
ここではじめて、光源氏は空蝉の容貌を知る。以前一夜を供にしたとはいえ、暗がりの中でのことで、ちゃんと顔も見ていないのだ。当時の夜というのは、ほんとうに真っ暗だったことがわかる。実はこの後、彼は空蝉と間違えて軒端荻を抱いてしまうのだが、それも夜の暗さゆえの展開だ。
さて、碁を打つ二人の女性だが、その対照的な様子が、印象深い。若々しくて、愛嬌があって、華やかな美人 ──
こちらが軒端荻だ。
では空蝉はどうだったか。
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