〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2008/04/22 (火) あ な た の た め に (二)

では、私自身は更衣の一首をどう読むか。
限りある命だけれど どうしても今は生きたい あなたのために (万智訳)
こんなふうに訳してみた。限りなく恋の歌に近い、辞世の歌だと思う。辞世の歌にしては、ずいぶん生への執着が激しいではないか、と思う人もいるだろう。が、更衣の場合は、死を目前にして、はじめて生への執着が湧いた、という印象が強い。ずっと生へ執着してきた人が、死ぬ前にやっとあきらめて、悟ったような辞世の歌を作ることは多い。そして更衣という人は、その逆ではなかっただろうか。
この歌をはじめて読んだときには、 「うわっ、これまで描かれてきたイメージとはずいぶん違うなあ。けっこう積極的だし、情熱的じゃない」 と思った。
彼女が口を開くのは、この場面が最初で最後なのだが、前後の描写では、なよなよした頼りない感じの女性だ。帝のこれほど愛されているのに、妬まれたり意地悪されたぐらいで、病気になってしまうなんて、弱すぎる。
「誰が何と言おうと、帝は私のものよ」 というような自信や、 「やった!生まれたのは男の子だ。ラッキー」 というような明るさは、どこにもない。ひたすら愛され、ひたすら妬まれる、受身の人生だ。
そういう女性が詠んだ歌にしては、ずいぶん積極的ではないだろうか。死というものを前にして、ようやく可能になった、遅すぎた意思表示 ── そんなふうに思われる。
辞世の歌ならば、一首が独立していて、返歌がなくてもおかしくはない。が、この歌には 「恋」 の気分も色濃く漂っている。ならば帝の返事は?という先ほどの議論になるのだが、この歌がそもそも返歌だったと考えることはできないだろうか。
和歌のやりとりの手順としては、女性である更衣から、いきなり帝へ贈るというのは不自然だ。といっても、その前に、帝の和歌があるわけではない。が、更衣の歌の直前には、帝の言葉がある。
「限りあらむ道にも・・・・・・え行きやらじ」 とのたまはするを、女もいといみじと見たてまつりて
そして、この一首が詠まれた・
「限りとて 別るる道の 悲しさに いかまほしきは 命なりけり 」
かぎり、道、行く、といった言葉の対応が、まず目につく。これについては岩波の新日本古典文学大系の脚注にも 「帝の従来からの言葉 『限り』 『道』 や 『行く』 を借り、生への執着を詠みあげる感じの激しく特異な歌」 という指摘がある。
返歌をする場合は、相手の歌の言葉をいくつか再利用するというのは、常套手段である。さらにそれだけでなく、一首の内容は、まさに帝の言葉に応えたものといえる。愛のこもった帝の言葉を、和歌にも匹敵する重みを持ったものととらえ、更衣は返歌を詠んだのではないだろうか。そしてそこには、辞世の歌としての覚悟もあった。
ところで、この一首に続けて更衣が言った言葉 、
「いとかく思ひたまへしかば」
にも、さまざまな議論がある。
「ホントウニコノヨウニ思ワセテイタダケルナラ」 。
一体何がコノヨウニなのか。
息子の光源氏の将来を、どうぞよろしくと、婉曲に頼んでいると読む説がある。親心としては、わからなくはないが、ずいびん現実的で、恋愛の観点から思うとかなり興ざめてある。
はじめからこうなることとわかっていれば、寵愛など受けませんでしたのに、と読む説もある。それにしては直前の和歌が、積極的すぎないだろうか。
さきほど、彼女は死を前にして、生への執着をはじめて感じ、それが和歌へ繁栄したのではないかと書いた。その流れでいくと、この歌に表したような 「生きたい」 という強い気持ちを、自分が本来持てる女性であれば・・・・・(そうでないからこそ、このような結果になってしまったのだ) 。そんな悔恨の言葉のように、私には感じられる。もっと言えば、更衣はずっと、死んでしまいたいとさえ思っていたのかもしれない。
けれど消えかかった蝋燭が、最後に力強く輝くように、更衣はもう一度、この一生を貫く愛を確認した。男としての帝と一対一で向き合って。そこには、他の女の嫌がらせも、 「あきれた二人だ」 という世間の声も、もう届かない。
「あなたのために」 という言葉は、もとの和歌にはない。けれど、そんな更衣の気持ちを汲んで、万智訳には入れてみた。
『愛する源氏物語』 著:俵 万智 発行所:文芸春秋 ヨ リ