〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2008/04/22 (火) あ な た の た め に (一)

『源氏物語』 で最初に和歌を詠むのは、桐壺更衣だ。帝にこの上なく愛され、光源氏を生んだ女性である。
「いずれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
という冒頭の一説は、あまりにも有名だ。多くの女性が帝にお仕えしているなかで、最高の身分というわけではないのに、とびきりの寵愛を受けている人がいた・・・・・いきなり、波乱が予想される幕開けである。
そして、この一文に続いて付け加えられる一言、ふた言に、私はどきりとさせられる。
はじめから、私こそはと思っていた女性たちは、目ざわりな女だと憎み蔑む。これは、わかる。
更衣より身分の高い女性たちは、私のほうこそ大切にされてしかるべきなのに、と心外なわけである。
が、続く次の一文。
「同じほど、それより下揩フ更衣たちは、ましてやすからず」
同じくらいの身分や、それより下の女性たちは、身分の高い人たち以上に、気持ちがおさまらない、という。
はじめ読んだ時には 「なんで?」 と思った。だってあなたたちは、最初からそういう立場でしょ。更衣より身分が下なんだから、当然常識からすれば、寵愛が彼女より少なくても当然なわけである。本来、多くの寵愛を受けてしかるべき人たちが、文句を言うのはしかたがない。が、本来そうでない人たちが、よけいに腹を立てているのだ。
つまり嫉妬とは、そういうものだ、と作者は考えている。分不相応な幸せを手にしたものに対して、その人と同じくらい分不相応の人間が、もっと強く妬みの気持ちを抱くのだ、と。
現代に置きかえれば、たとえば、人気絶頂のスポーツ選手が、誰かと結婚したりする。その状況だけで、いやおうなく嫉妬はされるだろうが、相手の女性が、才色兼備で性格もよさそうな場合なら、そうでもない多くの女性たちは、まあしかたがないと思うだろう。が、それほど美しくもなく、頭がよさそうでもない人が結婚相手だった場合、より多くの女性が嫉妬する。私のほうが、よっぽど綺麗だわと思っている美人はもちろん、同じくらいの器量の女性たちは、さらに心が穏やかでない。紫式部の論理でいくと、そういうことになる。
桐壺更衣は、女たちの嫉妬や恨みを一身に受けたためか、病気がちになってしまう。美しい男の子を産んだこともまた、嫉妬に拍車をかけることだろう。さまざまないじめがあった。そしてついには、いよいよ生命まで危うくなってしまう。
宮中では、皇后であっても、そこで死ぬことはタブーだった。決して穢れてはならない場所なのである。これまでは、養生のための里帰りを許されなかった更衣が、ついに帝のもとを離れて帰ることになった。まわりの目から見ても、死期が近づいていたのだろう。
悲しみのあまり、とり乱す帝。あらんかぎりのことを、泣きながら約束する言葉も、むなしい。
更衣はぐったりして、その言葉に応えることさえ出来ない。
そして次の場面では、帝から更衣への言葉が、はじめて直接話法で語られる。
「限りあらむ道にも、おくれ先立たじと契らせたまひけるを、さりともうち捨てては、え行きやらじ」
定められた死出の旅立ちさえ、私たちは供にと誓ったではないか。よもや私を見捨てては、行かれますまいね。
この言葉をうけて、息も絶え絶えに、更衣が返したのが次の一首と、言葉である。

「限りとて 別るる道の 悲しさに いかまほしきは 命なりけり 」
かく思うたまへましかば
「いかまほしき」 には 「生かまほしき」 と 「行かまほしき」 が掛けられている。運命とはいえ、あなたと別れてゆく道の悲しさ。私が行きたいのは、命の生きるほうの道なのに・・・・。
これが、 『源氏物語』 に最初に登場する和歌なのだが、男女の恋愛の場面でふつう交わされるものとは、かなり様子が違う。
一般的には、男性が先ず歌を贈り、女性がそれに返歌をする、というのが基本的なありようだ。
しかしここでは、更衣の一首があるのみである。その不自然さについては、昔から気になっていた人も多いらしく、十六世紀に九条稙通 (クジョウ タネミチ) よって書かれた注釈書 『孟津抄 (モウシンショウ) 』 に
「花鳥に帝の御返歌なきにて、御心も心ならず思し迷へる程をしるべき也云々」
とある。 「花鳥」 とは、十五世紀に一条兼良 (イチジョウ カネラ) の著した 『花鳥余情 (ヨセイ) 』 のことだ。
つまり兼良は、帝の返歌がないのは、それほど心が乱れていて、とても和歌など作れる状態ではなかったからだ、と考えた。 「ない」 和歌によって、帝の心をおしはかっている。その意見を稙通もなるほどと思ったのだろう。
玉上琢弥 (タマガミ タクヤ) 著 『源氏物語評釈』 にも 「返事できないのである。返事どころではないのである」 とあるから、この見方は現代まで手渡されている。小学館の日本古典文学全集の頭注にも、そこまで立ち入ってはいないが、 「これへの帝の返事はない」 と記されている。これらはつまり、あるべきはずの返歌がない、という見方だ。
いっぽうで、返歌はある、とする意見もある。更衣が亡くなったあと、かたみの品々を帝はご覧になり、次の一首を詠む。
「たづねゆく 幻もがな つてにても 魂 (タマ) のありかを そこと知るべく」
「まぼろし」 は幻術師のことで、亡き更衣の魂を探してくれるそういう者がいれば、人づてではあっても、彼女の居場所を知ることができるのに・・・・・という悲しみの歌だ。
藤井貞和氏は、この一首こそ、先の更衣への歌への返歌と考える。 「生と死と二界を超えた二人の唱和」 と言われると、なるほどそんなふうにも見えてくる。
しかし、帝はこの和歌を詠む前に、更衣の母へあてた手紙の中で別の一首を詠んでいる。また、物語の中では、その後に靫負命婦 (ユゲイノミョウブ) と母君との和歌のやりとりもある。そうした歌たちをはさんで、やっと返歌があらわれるというのは、いかにも間があきすぎているのではないだろうか。
これについて藤井氏はそれも作者の意図したことで 「桐壺更衣が生きている段階であの歌を詠ませ、帝にその段階では答えさせずにここまでひっぱってきた。つまり 『長恨歌』 の雰囲気の中でこの答えの歌を用意するというふうに、そこまで考えて答え歌をひっぱってくる」 と言う (岩波セミナーブックス 『源氏物語』)
確かに、この一首が詠まれた前後は 『長恨歌』 の影響が濃く見えるところだ。これが更衣の歌と唱和しているならば、そこまでさかのぼって 『長恨歌』 が仕込まれていたのかと、読者はあらためてハッとするだろう。
『愛する源氏物語』 著:俵 万智 発行所:文芸春秋 ヨ リ