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== 流 浪 の 盛 唐 詩 人 ==

2008/06/16 (月)  流浪の盛唐詩人 (一)

玄宗と粛宗の治世、約五十年間は、中国文学の歴史の上で “詩の時代” といわれる唐の中でも、特に “盛唐” よばれ、唐代独自の詩風が樹立し、すぐれた詩人たちが続々と輩出した時期であるが、とりわけ李白と杜甫は、この時代を代表するばかりでなく、中国文学史上、最高の詩人とされている。

李白は、字を太白という。中国の史上唯一の女帝である則天武后の長安元年 (701) に、蜀 (今の四川省) 綿 (メン) 州彰明 (ショウメイ) 県の青蓮郷 (セイレンキョウ) に生まれたとされている。というのは、李白の出生地については、ほかに山東 (サントウ) ともいわれ、また近くは郭沫若 (カクマツジャク) 氏はその著 『李白と杜甫』 において、中央アジアの砕葉城 (スーイアブ) とする説を立てているが、四川説がおおむね定説になっている。
李白の家系についても、また明らかではない。本人は、唐の王室と同族の名家、隴西 (ロウセイ) (甘粛省) の李氏であるといい、漢の武帝の名将で、匈奴から “飛 (ヒ) 将軍” と呼ばれて恐れられた李広 (リコウ) を遠祖だと言っているが、実はそんな遠い先祖はおろか、親についても分かっていないのである。
父親は西方の異民族と貿易をする商人であったらしく、李白が五歳になった頃、四川の地に移り住み、本名も分からず、 “李客” と呼ばれた。客とは “よそもの” の意である。
母親についてもはっきりしないが、母が李白を身ごもったとき、太白星 (金星) がふところに入った夢を見たので、白と名づけ太白と字したという話が伝わっている。
中国で古くから説かれてきた五行説によれば、白あるいは金は、方向に配当される色彩と元素をあらわし、どうもこれは李白が四川省という中国南部の出身であることを暗示しているようである。
李白はここで二十五歳までを過ごした。五歳で干支 (エト) の数え方をおぼえ、十歳で 『詩経』 『書経』 などの古典や諸子百家の書を読み、十五歳の頃から剣術を好み、また郷里の先輩である漢の司馬相如 (シバソウジョ) を凌ぐ文章を作った。
二十五歳の頃には仁侠の仲間に入り、一方ではまたこの頃、東巌子 (トウガンシ) という隠者と岷 (ビン)(四川・甘粛の境にある高山) の山中に篭り、千羽のどの珍しい鳥を飼いならし、李白が呼ぶと小鳥たちは嬉しそうに飛んで来て、手の上の餌をついばんだという。
また成都 (セイト) 町に遊んだり、蜀の名山・峨眉山に登ったり、自由な生活を楽しんだが、李白はいつまでも山奥でじっとして満足していられるような性格ではなかった。
玄宗の開元十三年 (725) 、二十五歳の時、少年時代から過ごしたこの四川の山国を離れ、揚子江を下り三峡を通った時の作が 「峨眉山月の歌」 である。

峨眉山月半輪秋

影入平羌江水流

夜發清渓向三峡

思君不見下渝洲

峨眉山月半輪はんりん の秋

影は平羌へいきょう 江水こうすい に入って流る

清渓せいけい を發して三峡に向う

君を思えども見えず しゅう を下る
半輪は半円。平羌江は青衣 (セイイ) 江ともいい、峨眉山の麓を流れて岷 (ビン) 江に注ぐ。清渓は峨眉山東南の地。三峡は揚子江の上流、四川・湖北の境界にある三つの難所、瞿唐 (クトウ) 峡・巫 (フ) 峡・西陵 (セイリョウ) 峡をいう。君は月を指し、渝洲は今の四川省の重慶 (ジュウケイ) の地で、清渓三峡の中間にある。
三峡を下った李白は、荊門 (ケイモン) に至った。そのときの作 「秋、荊門を下る」、
霜落荊門江樹空

布帆無恙挂秋風

此行不為鱸魚?

自愛名山入?中

霜落ちて荊門けいもん 江樹むな

はん 恙無つつがな く秋風に

此の行 ぎょかいため ならず

みずか ら名山を愛してせん 中に入る
霜が降って荊門山あたりの川ぞいの木々も葉が落ちてしまった。そんな景色を眺めながら布の帆は秋風を受けて無事に航行を続ける。この旅は、ススキの刺身を食うために呉に向かうのではなく、名山を遊覧するために? (セン) 県を目指して行くのだ。
以後、天宝元年 (742) 、四十二歳の時、玄宗に召されて長安の都に出仕するまでの約十七年間、湖北・湖南・安徽 (アンキ) ・江蘇 (コウソ) ・浙江 (セツコウ) ・山西・山東の諸地方を遊歴する。
これは杜甫の場合も同じだが、この頃は貴族・官僚、そして庶民の階級がはっきり分かれてをり、名門の出身でない彼らが、まともに科挙の試験を受けて官僚になる道が、全くなかったわけではないが、きわめて困難であり、才能がありながら官僚階級に属さない下層の者にとっては、各地を巡り歩く間に文人や大官に名を知られ、コネを作ることが出世の糸口となるし、また生計を立てる手段にもなるわけである。勿論その間に文学や学問の腕を磨くという目的もあるのである。
現代視点・中国の群像 楊貴妃・安禄山 旺文社発行 執筆者:巨勢 進  ヨリ