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2007/03/24 (土) 廃 藩 置 県 --- 第二の革命 @ 
私は、明治国家というものを一個の立体物のような、この机の上に置いて誰でもわかるように話したいのです。はじめてであった外国の人に説明しているような気持ちで話そうと思っています。
明治四 (1871) 年の廃藩置県。この日本史上、最大の変動の一つに衝いてお話します。
それは、その三年前の明治維新以上に深刻な社会変動でした。
同時に、明治維新以上に、革命的でもありました。
大変なものでした。日本に君臨していた二百七十の大名達が、一夜にして消滅したのです。士族 (お侍さんですね) その家族の人口は百九十万人で、当時の人口が三千万としますと、6.3パーセントに当ります。これらの人々が、いっせいに失業しました。
革命としかいいようのない政治的作用、外科手術でした。これが他日、各地に士族の反乱を呼び、また西南戦争 (明治十年) という一大反作用 (リアクション) を生む撓みになりました。ところが当座はじつに静粛におこなわれました。
静粛といっても、無事ということではなく、火薬庫から大勢で火薬を運び出すような危険を孕んでいたことはいうまでもありません。深夜、作業員達が、火気を厳禁しつつ、粛々と、火薬を運び出す光景を思わせます。一つまちがえば大爆発を起こすのです。無事、運び出されました。
反乱という爆発は、後日起こります。ただし今回はその爆発については述べません。
大名や士族にとって、廃藩置県ほどこけにされたことはありません。
明治維新は、士族による革命でした。多くの士族が死にました。この歴史劇を進行するために支払われた莫大な経費 (軍事費や、政略のための費用) はすべて諸大名が自腹を切ってのことでした。
そのお返しが、領地を取り上げ、武士は全て失業、という廃藩置県になったのです。何のための明治維新だったのか、彼らは思ったでしょう。
大名・士族といっても、討幕をやった薩長をはじめいくつかの藩、もしも彼らだけが勝利者としての座に残り、他は平民に落とすというのなら、まだわかるやすいのです。しかし事実は、勝利者も敗者も、ともに荒海に飛び込むように平等に失業する、というのが、この明治四年の廃藩置県という革命でした。
えらいことでした。
要するに、武士はいっせいにハラキリをしましょう、ということでした。
---- 誰が決めたんだ。
ということは、おいおいお話します。要するに、武士層が、自分で自分の手術をしたのです。
むろん、失業した武士にはお手当ては出ます。
でなければ、彼らも餓死してしまいます。
大名に対しては、その家禄の十分の一を支給する。
毎年です。これはわりあい分がいいのです。そのことはあとで述べます。
ただの侍は大変です。ざっとしたことをいいますと、他に転職するための資金が要るだろうということで、禄高の数年分に相当する現金もしくは公債を、政府は一時的に支給します。それっきりです。ただし士族の転職など、めったに上手く行きません。 “武士の商法” などという言葉がはやりまして、上手く行かないことの比喩に使われました。
商業に手を出した人は、たいてい右の一時金を使い果たしてひどい目に遭います。
江戸期から引き継がれてきた公娼の町 「吉原」 に、身売りをした旗本のお姫さまが花魁として出ている、などという噂が、巷に絶えませんでした。

思いつくままに例をあげます。
いまは大阪府になっている堺は、当時、堺県でした。
この中世に栄えた海外貿易の港町は、江戸時代にはだいぶさびれていましたが、それでも幕府はここを直轄領にして、堺奉行所という小さな総督府を置き、武士を配置していました。明治後、ここの知事として薩摩出身の税所篤 (サイショアツシ) が行政の衝にあたります。
この税所の堺県は、士族を救済するために、考えられない事をしました。
ここの浜には、高師 (タカシ) ノ浜というのがあって、古くからの松原があり、まことに白砂青松という言葉のとおりで、平安時代からの和歌の名所でもありました。
江戸幕府は高師ノ浜の名勝を保護しておりましたが、堺県では氏族を救うために背には腹は代えられず、松原を伐採して薪として売り出すことをやりました。
こういうことを、当時の言葉で “士族授産” と言ったのです。授産というのは、手に職をつけさせるというか、あるいはひろく食ってゆく道を教えるということです。
名勝の松原を伐って薪にするというのが、授産でしょうか。思いついた堺県知事の税所篤からして武士ですから、生業 (タツキ) の道についてはろくな知識はありません。
もっとも、名勝を薪にしてしまうというのはあまりにも暴挙だというので、半ばまで伐ってあとは沙汰やみになりましたが。
公債を集めて小さな銀行をたてさせるということも、政府は指導しました。これも、上手く行かず、倒産してしまった所が多かったようです。
商業や工業を目指した場合も殆ど失敗しました。農業に向かった場合は成功した例がわいあいありました。
『司馬遼太郎全集・「明治」 という国家』 著・司馬 遼太郎 発行所・文芸春秋 ヨ リ