寄り道が長かったようですな。
小栗上野介の話です。
彼は、前に述べた横須賀の巨大なドックの施行監督に、幕臣の栗本瀬兵衛を選びました。
歴史の中で、友情を感ずる人物がいますが、栗本瀬兵衛などはそうですね。いい男です。
幕府の御医師の子で、幕臣きってのフランス通でした。横浜開港後は主として外務国事をあつかい、外国奉行になったりしました。幕府瓦解後は、官に仕えず、新聞記者として終始しましたが、和漢の学問・教養は明治初年第一等の人物です。風貌は天才肌でなく、豪放磊落、およそ腹に怪しき心を持つという所がなく、直参が生んだ武士的性格の代表者ともいうべき人物でしょう。彼は生涯、勝ぎらいで通しました。明治後、栗本鋤雲
(ジョウン) の名で知られています。
横須賀ドック工事の目鼻がついたある日 (栗本の書いたもの “匏庵遺稿 (ホウアンイコウ)
” によれば、元治元年十二月中旬のよく晴れた風の激しい日だったようです) 大男の栗本が横浜税関を出て、官舎に帰ろうとしていると、背後に馬の蹄のとどろく音がして、二騎駆けて来ます。横須賀を検分して帰りの小栗上野介で、
「やあ、瀬兵衛殿、よくなされたな、感服、感服」
と、声を張り上げた。栗本の仕事を誉めたのです。
私は小栗の言葉を言いたくて、えんえんとここまで喋ってきたわけなのです。
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