〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
2007/03/13 (火) “青写真” なしの新国家 D 

○このように、長々と述べてきましたのは、津田出が、このあと新政府に呼ばれて東京へ出て来、番町の旧旗本屋敷に入った直後の事を述べるためです。
革命の最大の領袖である西郷隆盛がわざわざ津田の屋敷を訪ねてきたのです。
西郷という人は、物事の方法を、つまり---どいいう政府を作るべきか---そういうやり方を細々と他に尋ねる人ではありません、人のはなしをよく聞き、そういう話をするこの人物はどんな人物か、新政府を任せてよいか、任せるならすっかり任せよう、そういう人です。
つまり、津田出から、政府の作り方のKnow howを聞きに行くなら、西郷は、下の人に任せます。西郷は本気で、自分より身分の下の人の方が賢いと思っていた人です。ただ、事に当たって、無私であるのは自分だと思っていたために、人の上に立っていただけです。無私、これは栄達についての無私、あるいは進退についての無私、さらには生命についての無私。
西郷はそういう巨大な無私を持ち歩いた人でした。
無とか空という古代インド的哲学概念は、数学でいうゼロのことです。ゼロはすべてのプラスとマイナスの数字を生みます。古代インド人は、これをキリスト教の概念で言えば神だと思っていました。そして人間は、努めれば空---無も同じ意味です---になりうると思っておりました。
西郷は仏教徒とは言いにい人でしたが、天性の上に、そのような心を持つように自分でつとめておりました。宗教者とは違い、俗人である彼の年少の時からの望みは大事をなしたいということでした。これが、西郷の唯一のとらわれだったでしょう。その大事をなすためには、自分は他より学力、智力、体力があるいは劣るかも知れぬ。しかし、自分自身を空にしてしまえば、力があり、学問があり、智力がある人々がたくさん寄って来てくれて、自分を助けてくれるのではないか。ちょっとここで念を入れておかねばなりませんが、大事ということと功業---手柄を立てて後世に名を残したり、現世で栄達したりすること---とは全く別ものです。大事と功業は、幕末の沸騰期には、奔走する人々によってよくつかわれていた言葉です。長州の思想家吉田松陰も---この人は幕末の動乱の初期に刑死するのですが---この言葉を使いました。小利口で打算的で命を惜しもうとする弟子達を皮肉って、 “諸君は功業をなしたまえ、僕は大事をなすのだ” 。
というわけで、西郷というのは、 “大事” をかついで、空というもので歩いている古今類を見ない一大専門家でした。
こんな人が、大きな体を運んで、番町の津田出の所に訪ねて来たのです。
ここで余談を述べますが、西郷は他人に対してお行儀のいい人で、およそ尊大な所のない人でした。おそらく、体を縮め、両膝を正しく折って、津田という、本来薩長の敵であった紀州徳川家の元重臣の前に出たでありましょう。
津田の方が、こういう場合、ちょっと尊大ではなかったかと心配するのです。津田は筋目の徳川侍でなく、先祖代々根っからの紀州人でした。戦国の紀州人は “雑賀一揆” でもわかりますように、日本には珍しいほどの一階級意識が、戦国の昔から風土として息づいておりました。上も下もあるか、という性根の坐った土俗的気風が、この場合の津田にもあったかもしれません。

西郷は津田の話を聞いて、すっかり感動してしまうのです。
彼は、この人だ、と思いました。
実を言うと、明治国家の初期の機構は、革命政権とはとても思えないほどに、古ぼけたものでした。
政府のことを
「太政官」
と称していたのです。奈良朝・平安朝の律令制の言葉です。国際社会に船出せねばならない新政府が、 『源氏物語』 に出てくるような官制を称したのです。
官職も、おおむね古風で、財政を担当する者は大蔵大輔とか、その下を大蔵少丞とか、まことに古めかしいものでありました。
これには事情があります。
幕末の討幕のエネルギーは、攘夷から起こったことは言うまでもありません。
「開国」
なんてのは、イデオロギーとしては弱いです。開国は理の当然で、正しくかつ常識的なあり方ですから。
正しくて常識的で誰でももっともだというスローガンは革命的ではないのです。それは、液体で言えば、水です。水は、生きものにはなくてはならぬものです。しかし、革命というのは、みんなが酔っぱらわなくてはならないものですから、水ではどうにもならなくて、強い酒を必要とするものなのです。
革命とは本来、常にあらざる---非常の事態です。
一民族の長いいわば千年の歴史で、革命を一度やると、 “あれはすばらしかったが、しかし二度とはごめんだ” というものです。
オランダにおける市民革命、イギリスにおける清教徒革命と名誉革命、フランスにおけるフランス革命、アメリカにおける独立戦争と南北戦争、ロシアにおけるロシア革命、それらは中世もしくはもっと以前から社会の累積と継続に社会そのものが耐えられなくなって、つまり人間が、過去から社会の為に不幸になるばかりだという過去からの因縁の重なりが全身ガンのようになってしまって、細胞を新たにする為に起こさざるを得ないものです。
そういう革命によって、その期間、人間は侠気にならざるを得ません。そのためには強い酒、つまり異常なる正義が必要です。
例えば、十七世紀の清教徒の大親玉であるクロムウェル。英国史上、悪魔の如き独裁者でした。彼も彼の手下も、カソリックは悪魔だと思い込み、となりのカトリック国のアイルランドに攻め込み、手当たり次第に坊さんや尼さんや農民の首を切って、その連中の土地を自分のものにしてしまうのです。それが革命の正義でした。まともなことではありません。
しかし、一つの民族は、一度はやります。二度とはやりません。ただし、年中、革命やクーデターをやっている国がありますが、これはまた別の物指しで計るべきもので、この場合の論旨とは無縁です。

『司馬遼太郎全集・「明治」 という国家』 著・司馬 遼太郎 発行所・文芸春秋 ヨ リ