〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
2007/12/07 (金) 断 章 ・ 池 田 屋 (二)

一方、祇園実成院前の会所では、近藤、土方らがいらいらしている。彼等もまた。
「出動は五ツ」
ということで、京都守護職 (会津藩) と約束してある。その会津藩、所司代、桑名藩などの人数二千人以上がその時刻を期して一斉に動くはずであったが、動員が鈍重で、まだ市中に一人も出ていない。藩の軍事組織が、三百年の泰平でここまで鈍化してしてしまっているのである。
「諸藩頼むに足らず」
歳三が、近藤に決心を促した。近藤は無言で、立ち上がった。
しでに、午後十時である。
「歳、木屋町 (丹虎) へ行け」
歳三は、鉢金をかぶった。鎖のしころが肩まで垂れている。異様な軍装である。
「武運を。 ──」
と歳三は、眼底 (マナザシ) の奥で近藤へ微笑 (ワラ) いかけた。近藤も、わらった。少年の頃、多摩川べりで歳三と遊んだ思い出が、ふと近藤の脳裡をかすめた。
だっ、と歳三は暗い路上へ出た。
近藤も、表へ。
ついでながら、歳三の隊はまず木屋町の丹虎を襲ったが、しかし敵がそこにいなかった。
池田屋では、薬屋の山崎が、密かに大戸の木錠 (モクジョウ) を外してしまっている。
二階ではすでに酒座が開かれてから二時間になる。酔いが十分まわっていた。
近藤は、戸を開いて土間に踏み込んだ。つづくのは、沖田総司、藤堂平助、永倉新八、近藤周平、それだけである。あとは、表口、裏口の固めにまわっている。
「亭主はおるか。御用改めであるぞ」
惣兵衛が、あっと仰天し、二階への段梯子 (ダンバシゴ) を二、三段のぼって、
「お二階のお客様。お見廻りのお役人の調べでございますぞ」
と大声で叫んだ。
その横っ面を近藤は力任せに殴りつけた。亭主は、土間にころげこんだ。
その亭主に声さえ、二階の連中の耳には届かなかった。
ただ土佐の北添佶麿が、遅参している同志がやって来たものと思ったのか、
「あがれ、上だ」
と階段の降り口へ顔を出した。階下から見上げたのは、近藤である。顔が合った。北添があっと身を引こうとした時、近藤は階段を二段ずつ駈けあがって、抜き打ちに斬っておとした。
佩刀は、虎徹。
永倉新八がこれに続いて駆け上がった。
階上にあるのは、近藤、永倉の二人きりである。奥の間へ進んだ。
奥の間の連中は、今になってやっと事態がどういうものであるかがわかった。
は、刀を取ろうにも、大刀がない。やくなく小刀を抜いた。室内の戦闘には小太刀の方がいいという説もあって、あながち不利ではない。
議長格の長州人吉田稔麿はこの時二十四歳である。吉田松陰の愛弟子で、松陰は、桂小五郎よりもむしろ吉田稔麿を買っていたという。
吉田稔麿は、さすがにこの急場でも十分に回転できる思慮を持っていた。川原町の長州邸 (今の京都ホテル) はここから近い。まず援兵を求めようと思い、近藤、永倉の白刃の間をくぐって階段の降り口へとりついた。
近藤は、振り返りざま、肩先へ一刀を浴びせた。
吉田は階段から転がり落ちた。階下にいた藤堂平助が一刀を浴びせたが屈せずに往来へ出た。そこで原田左之助の刀を腰に受けたが、あsらに屈せず、ひた走りに走った。
藩邸の門を叩いた。
「吉田だ、開けろ」
開門された。急を告げた。
「みな、すく来い」
とわめいた。が、不運にも藩邸には、病人、足軽、小者が数人いたばかりで、戦うに足るほどの者が居なかった。
このとき藩邸の責任者であった留守居役桂小五郎は、それでも走り出ようとする者を押しとどめ、
「前途、亦大事。猥 (ミダ) りにこの挙に応ずるを許さず」 (孝允自記)
と言った。桂は、吉田らを見殺しにした。が、それもやむを得なかった。いま動けば長州屋敷だけで数千の幕兵と戦わねばならない。
吉田稔麿はやむなく手槍一本を借り、全身血だらけになりながら、同志が苦闘する池田屋へ引きかえし、再び屋内に入り、土間で不孝にも沖田総司と遭遇した。
繰り出した吉田の槍を、沖田は軽く払った。そのまま槍の柄へ刀をすーと伝わせなから踏み込んで右袈裟一刀で切り倒した。

『司馬遼太郎全集 ・ 「燃えよ剣」 』 著・司馬 遼太郎 発行所・文芸春秋 ヨ リ