〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
2007/12/06 (木) 池 田 屋 (三)

が、事態はすでに古高の白状を必要とせぬまでになっていた。古高の連判状にによって、徒党の名前が洩れなくわかっている。すでに新選組、会津藩所司代、町奉行の探索が活発に動き、その結果、三条界隈に軒を並べている旅館に正体不明の浪人が多数宿泊していることもわかり、とくに三条小橋西詰の旅館池田屋惣兵衛方が、どうやら彼等の動きの中心になっているらしい。池田屋には、山崎が薬屋に化けて宿泊している。
さぐると、ほとんどが長州弁である。
守護職から、各個に捕らえてはどうか、という示唆が届いていたが、新選組は動かなかった。山崎から、
「一味はすでに、古高が捕らえられたことを知っているらしい」
という報告があったからだ。当然、あわてているはずである。暴発を中止してそれぞれが京から散るか、それとも短兵急に決行するか、善後策が必要なはずだ。そのために、必ず会合するだろう。
「きっと、会合する」
と、歳三は言った。
近藤は、多少不安だった。
「このまま散らしてしまえば元も子もなくなるぞ」
「博打さ」
しかし、長州藩士とその与党は、まったく疎漏だったといっていい。狭い三条界隈の旅館街を、誰が見てもそうとわかる顔つきで、毎日、それぞれの宿泊所を訪ねあっているのである。
── 場所は池田屋、日は今夜。
とわかったのは、六月五日である。それも夕刻になってから、山崎の諜報が届いた。
ところが、おなじころ、町奉行所に依頼してあった密偵から、
「今夜、木屋町の料亭丹虎 (四国屋重兵衛) らしい」
とも、いってきた。丹虎は、従来、長州、土州の連中の使っている料亭で、池田屋よりもはるかに可能性が濃かった。
近藤もこの報告には青ざめた。わずかな兵力を二分させることになるのだ。
「歳さん、これも博打でいくか」
池田屋か、丹虎か、どちらかに兵力を集中させる、と近藤は言うのだ。
「そいつは、まずい。大事を踏んでここは二手に隊をわけよう。しかし」
兵力の按分である。
どちらの場所に可能性が濃いか、ということで人数は決まる。
「山南さん、どう思う」
と、近藤は総長の山南敬助にきいた。
「丹虎でしょう」
といった。妥当な判断である。丹虎はそれほど、倒幕派の巣として有名だった。
「私は、池田屋だと思う」
歳三が言った。理由はない。この男の特有なカンである。
「そうか」
近藤も、少年の頃から歳三のカンには一種の信仰のようなものをもっている。
山南は、近藤が歳三の案を採用したことに、露骨に不快な顔をした。近藤はその表情を敏感に見てとって、
「山南君にも一理ある。だから、歳さん、あんたは、山南君のいう丹虎の方を押さえてもらおうか」
といった。うまい馴らし手である。
歳三はうなずいた。
山南もそれとわかって、
「池田屋は私ですか」
といったが、近藤はにこにこして、
「これは私にやらせてもらおう。山南君はまだ霍乱のあとが癒えていない。大事な人を失いたくない」
といった。山南は黙った。山南は長州に対し、やや同情的なことを近藤は知っている。
人数は、丹虎を襲う土方隊が二十数人、池田屋へ討ち入りする近藤隊が、わずか七、八人。
討ち入り後、近藤が、江戸にある養父周斎にあてた手紙にこうある。
「折悪敷 (オリアシク) 局中病人多にて、僅々三十人、二ヶ所の屯所 (敵の) に二手に分かれ
、一ヶ所土方歳三を頭とし遣はし (中略) 、下拙、僅々の人数引連れ出で」
が、この人数の割り振りは、実に巧妙に出来ている。少人数の近藤隊には沖田総司、藤堂平助、原田左之助、永倉新八といった隊でも一流の使い手をそろえ、土方隊は、人数は多くても粒から見れば落ちている。
「歳、いいな」
「いい」
池田屋への討ち入りは、亥ノ刻 (夜十時) であった。近藤の手紙にいう。
(出口の固めにも人数を割いたため) 打込み候もの、拙者始め沖田、永倉、藤堂、周平 (養子) 右五人に御座候。兼ねて徒党の多勢を相手に火花を散らして一時余 (イットキヨ) (二時間余) の間、戦闘に及び候ところ、永倉新八の刀は折れ、沖田総司刀の帽子折れ、藤堂平助刀は刃切出ささらの如く (中略) 追々 (オイオイ) 、土方歳三駈けつけ、それよりは召捕り申し候 (人数が増えたため斬り捨て方針を中止) 。実にこれまでたびたび戦ひ候へども、二合と戦ふ者は稀に覚え候ひしが」
と、近藤は剣歴を誇りつつ、
「今度の敵、多勢と申しながら、いづれも万夫の勇士、誠に危き命を助かり申し候」
と、結んでいる。
この時の服装は、隊の制服である浅黄色の山形のついた麻羽織を一様に着用し、剣術の皮胴をつけ、下には鎖の着込みを着、頭に鉢金 (ハチガネ) をかぶっている者が多かった。歳三が使用した鉢金は、東京と日野市石田の土方家に残っている。二ヶ所、刀痕がある。

『司馬遼太郎全集 ・ 「燃えよ剣」 』 著・司馬 遼太郎 発行所・文芸春秋 ヨ リ