〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
2007/12/05 (水) 池 田 屋 (一)

    薪木 (クロキ) 買わんせ くろき、召しませ
大原女 (オハラメ) が沈んだ売り声を上げて川原町通りを過ぎた後、その白い脚絆 (キャハン) を追うようにして、日和雨 (ソバエ) がはらはらと降ってきた。
「静かですな」
沖田総司が言った。
絵のような、、京の午後である。元治元年の六月一日。
祇園会 (ギオンエ) も近い。
歳三と沖田は、たった今大原女が通った軒先の二階にいる。
川原町四条の小間物屋茨木屋四郎兵衛の階上で、薄暗く、かび臭い。二階いっぱいに、品物が積み上げられている。
この二階は川原町通りに向かって、むしこ窓が開いていた。沖田は、そこから街路を見下ろしている。
「朝から、三人ですよ。一人は武士、二人は拵 (コシラエ) は町人体だが、武士くさい」
と、干菓子 (ヒガシ) を食べながら言った。
「そうか」
歳三は、たった今上がってきたばかりである。
このむしこ窓から見下ろすと、川原町通の東側の家並、そこから東へ入る無名小路の人の出入りがよく見えるのだ。
その無名小路を川原町通りから入って、家数にすればざっと五、六軒いった右側に、
「桝屋」
という道具屋がある。
そこを見張っている。見張りは沖田だけではない。
監察部の山崎蒸、島田魁、川島勝司、林信太郎などは、薬売り、修験者などに変装してこの界隈をうろついているし、無名小路を通り抜けた西木屋町の通りにも、原田左之助が、町屋を借りて、路上の人の往き来を見張っている。
「しかし、いやだなあ、見張りなんてのは。私の性にあいませんよ」
「そうだろう」
沖田は、そういう若者だ。人の非違を見張るというのは、いくら隊務でも性に合うまい。
「まあ、我慢しろ。あす、交替させる」
「必ず?」
菓子を一つ、口に入れた。
のんきな顔だ。
歳三は苦笑して、
「そのかわり、今日一日は懈怠 (ゲタイ) してもらっては困る」
「しかしどうかなあ。いや、私のことじゃないです。桝屋のおやじのことですよ。 ── 風の夜を選んで」
「ふむ」
「ええ、風の夜にですよ」
沖田は菓子をのみくだし、
「京の市中の各所に火をかけ、数十人狩り集めの浪人で御所に乱入して禁裡さまを盗み出し、長州へ連れて行って倒幕の義軍をあげようというのでしょう? 大体、できることじゃないですよ。そんな途方もないことを考えるというのが、そもそも、不思議な頭を持っている。土方さん、本当は、桝屋、狂人じゃないですか」
「正気だろう。血気の人間が集まって一つの空想を何百日も議論しあっていると、それが空想でなくなって、討幕なんぞ、今日にも明日にも出来上がる気になってくるものだ」
「つまり、狂人になるわけでしょう、集団的に。妙なものだな」
「妙なものだ。が、集団が狂人の相をおびてくると、何をしでかすかわからない」
「新選組も、同じですな」
沖田はくっくっ笑って、
「土方さんなど、狂人の親玉だ」
「何を云いやがる」
こわい顔をして見せた。が、沖田は、新選組の隊中で鬼神のように怖れられているこの歳三が、ちっとも怖くない。沖田総司という、この明るすぎる若者の目から見れば、歳三が力めば力むほど、壬生狂言でやる黙劇 (パントマイム) の熊坂長範のような滑稽感をおびて映ってくるのだろう。
「総司、すこし緊 (シマ) れよ」
にがい顔で言った。
「その、京に放火して一斉に蜂起するという浪人が、五十人や六十人ではない、という情報もある。これをどう鎮圧するかが、新選組が天下の新選組になれるかどうかの正念場になる」
「一つ、いかがです」
沖田は、歳三の手に菓子を握らせた。歳三はいまいましそうに口へほうりこんで、外へ出た。
そのあと、原田左之助の見張所を訪うて報告を聞き、さらに高瀬川沿いの路上で、薬売りに変装した監察、山崎蒸とすれ違った。山崎は、眼を伏せて歳三のそばを通り抜けた。うまい。山崎は剣も相当なものだが、もとが大坂高麗橋の鍼医 (ハリイ) の息子だけに、町人姿が堂に入っている。
山崎とすれ違ったあと、歳三は木屋町三条で辻駕籠をひろい、壬生へ帰った。

『司馬遼太郎全集 ・ 「燃えよ剣」 』 著・司馬 遼太郎 発行所・文芸春秋 ヨ リ