〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
2007/12/04 (火) 局 中 法 度 書 (三)

「刑が厳しすぎはしまいか」
総長である山南敬助が近藤に助言した時、歳三は白い目で山南を見た。
「山南先生」
と言った。
「山南先生とも思えぬ。隊士を弱くしたのですかね」
「たれがそう申した」
山南は気色ばんだ。歳三はニコリともせず、
「私の耳には、そう聞える」
と、静かに応じた。
厭な奴だ、と山南は腹の底が煮えくり返るようだったろう。
「山南さん、私はね、日本中の武士はみな腰抜けだと思っている。武士、武士といっても威張れたもんじゃねえという現場を、この目で何度も見てきた。家禄の世襲と三百年の泰平がそうさせたのだろう。が、新選組だけはそうはさせぬ。真の武士に仕立て上げる」
「真の武士とは、どういうものです」
「いまの武士じゃない。昔の」
「昔の?」
坂東武者とか、元亀天正のころの戦国武者とか、まあうまく言えないが、そういうものです」
「土方さんは、存外無邪気であられる」
子供っぽい、と吐き捨てたかったのだろう。そのかわり、山南は頬にあらわな嘲笑を浮かべた。
歳三は、その頬をじっと見つめている。かって、芹沢鴨と 「士道論議」 をした時、芹沢の頬に浮かんだのと同質の嘲笑が、山南の頬に張り詰めている。
── 百姓あがりめが。
事実、山南はそんな気持ちだった。しかし、歳三の心底にも叫び出したいものがある。理想とは、本来子供っぽいものではないか。
「まあいい、酒にしよう」
と、近藤はとりなした。近藤は、歳三を無二の者とは思っているが、山南敬助という学才の持ち主も失い難い。京都守護職、京都所司代、御所の国事係、見廻組頭取などに出す公式の文書は、そのほとんどを山南が起草する。また諸藩の公用方と会談する時も、山南を帯同する。隊中勇士は多いが、格式のある場所で堂々言辞を張れるのは、仙台脱藩浪士山南敬助だけである。
小姓に酒を運ばせてから、近藤は、山南、歳三の顔をかわるがわる見て、言った。
「私は仕合せだ。山南君の智、土方君の勇、両輪併せ持っている」
が、歳三は単に勇だけの器量か。
近藤も、この歳三の才能について、どれだけ見抜いていたかは、疑問である。山南の智は単に知識だが、歳三には創造力がある。
(みろ、そういう隊を作ってやる)
その夜、歳三の部屋に、おそくまで灯がともっていた。
例によって沖田総司が、からかいに来た。
「また俳句ですか」
覗き込んだ。
「ほう、局中法度書 (ハットガキ)
歳三は草案を練っていた。
隊の、律である。歳三の手元の紙には、この男の例の細字でびっしりと書き込まれていた、五十ヶ条ほどの条項があった。沖田はそれを一つ一つ眼で拾い読んで、
「たいへんだな」
笑い出した。
「土方さん、これをいちいち隊士に守らせるおつもりですか」
「そうだ」
「五十いくつも項目がありますぜ」
「まだ仕上げてない」
「たまらんなあ、まだこれ以上に?」
「いや、今から削ってゆく。これを五ヶ条にまでしぼってゆく。法は三章で足る」
「ああ聞いたことがある。寄席でだが。もっとも唐のどの大将の言葉だったか、こいつは山南さんにでも聞かねばわからない」
「うるせえ」
ぐっと、墨で一条、消した。
深更までかかって、五ヶ条が出来た。
  一、士道に背くまじきこと。
  二、局を脱することを許さず。
いずれも、罰則は、切腹である。第三条は 「勝手に金策すべからず」 。第四条は 「勝手に訴訟 (外部の) 取扱うべからず」 。
第五条は 「私の闘争を許さず」 。右条々相背き候者は切腹申しつくべく候也。
さらに、この五ヶ条に伴う細則をつくった。
その中に妙な一条がある。この一条こそ新選組隊士に筋金を入れるものだ、と歳三は信じた。
「もし隊士が、公務によらずして町で隊外の者と争い」
というものである。
「敵と刃を交わし、敵を傷つけ、しかも仕止めきらずに逃がした場合」
「その場合はどうなります」
「切腹」
と、歳三は言った。
沖田は笑った。
「それは酷だ。すでに敵を傷つけただけでも手柄じゃないですか。逃がすこともあるでしょう。逃がしちゃ切腹というのは酷すぎますよ」
「されば必死に闘うようになる」
「しかし折角ご苦心の作ですが、藪蛇にもなりますぜ。隊士にすれば敵を斬って逃がすよりも、斬らずにこっちから逃げた方が身のためだということになる」
「それも切腹だ」
「はあ?」
「第一条、士道に背くまじきこと」
「なるほど」
隊士にすれば一旦白刃を抜いた以上、面 (オモテ) もふらずに踏み込み踏み込んで、兎に角敵を斃す以外に手がない。
「それが嫌なら?」
「切腹」
「臆病な奴は、隊が恐ろしくなって逃げ出したくなるでしょう」
「それも第二条によって、切腹」

これが公示された。
若い血気の隊士はこれを読んでむしろ飛瀑に肌を打たれるような壮烈さを感じたようであったが、加入後、まだ日の浅い年配の幹部級に、ひそかな動揺が見られた。怖くなったのである。
歳三は、その影響を注意深い眼で見ていた。果然、脱走者が出た。
助勤酒井兵庫である。
大坂浪人、神主の子で、当人は隊では珍しく国学の素養があり、和歌をよくした。
歳三は、監察部の全力をあげて、京、大坂、堺、奈良まで探させた。
やがてそれが、大坂の住吉明神のさる社家のもとにかくまわれていることがわかった。
「山南君、どうする」
と近藤は相談した。
山南は、助命を申し述べた。山南は平素、酒井兵庫に自作の歌の添削を頼んだりしていた仲である。
近藤は、斬りたかった。酒井は、助勤として隊の枢機に参画した男だから、機密を知っている。世間に洩れれば新選組としてはともかく、累が京都守護職におよぶ。
「歳、どうだ」
「歌がどうの、機密がどうのと論に及ばぬことだ。局長、総長自ら、局中法度書を忘れてもらっては困る」
「斬るか」
「当然です」
すぐ、沖田総司、原田左之助、藤堂平助の三人が大坂へ下向した。
住吉の社家に酒井兵庫を訪ねた。
酒井は観念して抜き合わせたらしい。
その刀を原田が叩き落し、境内での闘いを避け、酒井を我孫子街道ぞいの竹薮まで同道して、あらためて、刀を渡した。
数合で、闘死した。
以後、隊は粛然とした。局中法度が、隊士の体の中に生き始めたのは、この時からである。
やがて、年が改まった。

『司馬遼太郎全集 ・ 「燃えよ剣」 』 著・司馬 遼太郎 発行所・文芸春秋 ヨ リ