〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
2007/12/04 (火) 局 中 法 度 書 (二)

この年の十二月、幕府は浪士取締令を出した。京坂に流入してくる不穏の浪士は、見つけ次第捕殺する。
理由は、近く将軍家茂 (イエモチ) が入洛する。京の治安は、武を以って鎮めておかねばならない。
「そういう次第です」
と、近藤は隊士一同を集めて言った。
「大公儀の威武を以って、浮浪を一掃し、かしこきことながら、禁闕 (キンケツ) の御静安をお守りする。いよいよ今日から、王城の大路小路が新選組の戦場であると心得られたい」
新選組が文字通り悪鬼のような働きをし始めたのは、この時からである。毎日、京に血の雨を降らせた。
人数ざっと百人。
むろん一流の剣客ばかりではない。未熟者もおれば、怯者もいる。戦場の場で臆した者は、後で必ず処罰した。処罰、といっても在来の武家社会にあった閉門、蟄居といった生ぬるいものではない。すべて死罪である。一にも死、二にも死。三百年狎れあいごとで済ませてきたこの当時の武士に目から見れば、戦慄すべき刑法であった。
隊士にしてみれば、乱刃の中で敵に斬られるか、それとも引き上げてから隊内で斬られるか、どちらかであったから、決死の日常である。
「すこし、厳しすぎはしまいか」
と、ある日、一日に三人も斬首、切腹の被刑者が出た時山南敬助が、近藤と歳三の前で言ったことがある。
話が前後するが、これよりすこし前、芹沢鴨とその係累を一掃した直後、隊における山南の処遇がかわっている。それまでは、歳三と同じ副長であったのが、
「総長」
ということになった。昇格した。序列で言えば局長近藤勇、総長山南敬助、副長土方歳三ということになる。
この昇格は、歳三が近藤に献言したことだ。
── ぜひ山南を。
というと近藤はこの時ばかりは喜んだ。歳三が山南を好いていないことは近藤の苦の種になっていたのである。その歳三が山南のために 「総長」 という特別な職名をつくり、自分の上に置くという。
── 歳、雨が降るよ。
と言ったほどだ。
── 降らねえ。
と、歳三は無表情に言った。 「総長職」 とは名の響きは上等だが、実際は、近藤個人の相談役、参与、参謀、顧問、といったもので権限がない。いやもっと重要なことは、この響きのいい職名には隊士に対する指揮権がないことである。
指揮権は、局長 ─ 副長 ─ 助勤 ─ 平隊士、という流れになる。現今 (イマ) の言葉でいえば、総長山南敬助は、近藤のスタッフであって、ラインではないのである。
歳三は、山南をていよく棚に上げた。飾り達磨にした。山南もはじめは喜んだが、次第にその職の本質がわかってきて以前以上に歳三を憎むようになった。だけでなく、近藤に、
── もとの副長に戻して下さい。
と頼み、近藤もその気になって歳三に相談した。
── 歳、あれを格下げしてやらんか。
── いや、あれでいい。
と、妙な例を引いた。
歳三は、少年の頃、家伝の石田散薬の原料を採集したり製剤したりする時には、夏の農閑期の時でもあった村中の人数を使うのだが、その指揮を十二、三の年からやった。そのころの経験で、長兄や次兄がうろうろやってきて口を出すたびに作業の能率が落ちたことを覚えている。命令が二途からも三途からも出ることになるからだ。
── 副長が二人居ちゃあ、そうなる。近藤さん、あんたの口から出た命令がすぐ副長に響き、助勤に伝わり、電光石火のように隊士が動くようにならねば、新選組はにぶくなるよ。組織は剣術と同じだ。敏感でなかれば駄目だ。それには副長は一人でいい。
これは歳三の独創である。幕府、藩の体制とうのは、たとえば江戸町奉行でも二人制をとっていたように、どういう職でも複数で一つの役目を勤めた。このことは、当時日本に来た外国の使臣がみな奇異の念をもったことだ。
その陋習を新選組は苦もなく破っている。
── 隊を強靭にするためだ。そのかわり、山南さんを栄職で飾っている。
と、歳三は言った。
それは余談。

『司馬遼太郎全集 ・ 「燃えよ剣」 』 著・司馬 遼太郎 発行所・文芸春秋 ヨ リ