〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
2007/01/30 (火) ネボガトフ B

○ともあれ、ネボガトフ艦長は機関を止めて漂泊した。
東郷は、
「秋山サン、行きなさい」
と、受降のための軍使として真之を選んだ。旗艦ニコライ一世へ乗り込んでゆき、ネボガトフと対面して降伏についての打ち合わせをせよ、ということであった。
敵艦へ行くためには短艇が必要だたが、たまたま三笠のそばに 「雉」 という名前のついたちっぽけな水雷艇が近づいて来たので、
「関よ」
と、真之は艦上からまねいた。雉の艦長は大尉で、関才右衛門といった。
真之は、それに乗った。彼は東郷の眉をひそめさせた例のふんどし姿 (剣帯を上衣の上から締めた格好) をやめていた。武器は腰に吊っている果物ナイフのような短剣だけで、拳銃も持っていない。
(帰って来れるかどうかわからない)
と思ったのは、随行の山本信次郎大尉である。山本は三笠の分隊長をつとめていたが、フランス語が堪能であるため、通訳として従ったのである。
"私は死を決していた。"
と、山本信次郎が後に語っている。以下、その談話である。
「秋山参謀と二人、水雷艇の “雉” に乗って本官艦を離れ、敵の旗艦へ行った。その日は波が荒かった。その上、 “ニコライ一世” という軍艦は舷側の斜角が急なので上にあがれない」
木の葉のような水雷艇の上から仰ぐと、舷側がそそり立って大要塞を見るような感じがした。
そのうち上から索梯が降りてきた。ちょうど山本のいる場所の方に降りたため、山本は、
「お先に」
といって足をかけた。彼は今登ってゆく艦内には降伏に反対する反乱兵とか、衝撃で気が変になっている連中とかが存在すると覚悟していたし、もし殺されるなら自分が先に殺されるのが後輩としての道だと思って一足先に艦上にの登ったのである。すぐ真之も登って来た。
「艦内ではやはり異様な昂奮状態にあった」
水兵や将校が、口々に何か罵りわめきながらあちこち駈け回っている。 「容易ならぬ形勢の不穏さ」 と山本は形容しているが、実際には恐慌がおこっているのでもなんでもなかった。彼らは水葬の支度をしていたのである。
上甲板には戦死者の死骸がたくさん横たえられていて、それを運ぶ者、屍を包む者、それらを指揮する超え、さらにはひざまずいて大声で祈祷をあげる者などの諸動作や声がそのあたりを駈け回っている感じで、緊張の極に達している山本から見ればパニック状態に見えたらしい。
これが水葬の光景であると山本が気づいたのは、真之がそれら屍体の群れのそばへどんどん歩いていって、ひざまずいて黙祷したからである。
山本の談話によると、
「こんな時でも、秋山という人は変に度胸が据わっていた。ツカツカと行って前に跪き」
と、ある。
真之は敵の人心を攬るためにこの動作をしたのではなく、いずれこの戦いが終れば坊主になろうと覚悟を決めていた彼は、自分の艦隊の砲弾の為にたった今死んだばかりの死者たちの破損された肉体を見てひどく衝撃を受け、おもわず冥福を祈る動作に移行しただけの事で、山本の語るところでも、
「その祈祷の様子に偽りならぬ心が溢れていた。敵の兵員達はじっとその様子を眺めていたが、その眺める目にも正直な感謝の情が動いており、それ以後、彼らの態度から反抗の色が消え、親しみに似た感情さえ仄見えた」 とある。

上甲板で出迎えたのは、参謀長のクロッス中佐であった。彼はまだ三十代であったし、それにもともと威勢の悪くない人物なのだが真之の目には雨に打たれたむく犬のような印象に映った。ひとつには口ひげが伸びすぎ、潮風やら爆煙やらがこびりついて簾のように垂れてしまっていたせいだったかも知れない。
真之と山本大尉は、司令官室に通された。他に誰も居なかった。どこかから叫喚の声が響いてくる。やはり尋常な空気ではなかった。
(つまらない目に遭うものだ)
と、真之は敵に対してではなく、自分に対して思った。
降敵の城に軍使として乗り込むというのは絵物語ならいかにも爽快な光景なのだが、いざその役目を自分に割り当てられてみると、陰惨さのほうが先立った。
おそらくネボガトフが出てくるであろう。それに対してどういう態度をとっていいのか、真之は戸惑う思いがした。待つ間も通路をしきりに叫び声が走っている。
山本の顔が、緊張でこわばっていた。
「いざとなれば武士らしく潔く死のう」
と、山本は繰り返し自分に言い聞かせては落ち着こうとしていたが、真之はべつにそう思わなかった。彼には通路の叫び声の正体がわかっているのである。
真之はここまで案内されてくるまでのあいだに、将校や兵たちが何をしているかを一瞥して見当をつけてしまっていた。
彼らは信号書や機密書類などを海中に投棄するために号令を発したり、注意事項を叫んだりしているだけのことだとみていた。
そういう書類の始末というのは彼らがはっきり戦闘を放棄し降伏しようとしている証拠で、むしろあの騒ぎは真之らが軍使として安全な状態にあることを傍証づけているようなものである。

やがてネボガトフ少将が入ってきた。
真之らは、立ち上がった。相手のネボガトフが敵将であるとはいえ、海軍礼法によって階級相応の敬礼をしなければならない。真之はその後も同少将のことを書くときに敬語を用いているが、それが海軍礼法の強制によるものというより、彼が属した時代のごく尋常な礼儀感覚であるというほうが正確かも知れない。
ネボガトフは真之の懸念を裏切って一向に降将らしくなかった。
この白髪白髯の肥った五十男は笑顔と大ぶりな所作で入ってきて、いきなり自分の体をたたいた。
「こんな服装で申し訳ありません」
と、フランス語で言って握手を求めた。真之は握手をしつつ、なるほど汚い服装だと思った。
「少将、汚穢ナル戦衣ノ儘ニテ出来リ、鄭重ニ握手セラル」
というのは、真之の文章である。大尉山本信次郎の後日の談では、
「汚れはてた石炭積みの作業服を着ていた。そのとき初めて知ったのだが、ロシアでは戦争をする時は作業服を着るものらしい。わが海軍は死装束のつもりで晴れの軍服を着る」
と、ある。が、ネボガトフその人の人柄については 「非常に善良そうな人」 という印象を真之も山本も受けた。

『司馬遼太郎全集・坂の上の雲B』 著・司馬 遼太郎 発行所・文芸春秋 ヨ リ