〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
2007/01/29 (月) ネボガトフ @

○東郷の諸戦隊は、夜を徹してひた走りに走り、二十八日払暁までにその殆どは鬱陵島附近に達していた。
東郷は待ち伏せという形での追撃戦の戦法を取った。
彼の真価は二十七日の主力決戦よりもこの追撃戦にあったと評価されているが、しかしこの方針は既定のことでもあった。
東郷に課せられている戦略方針は敵の一艦といえどもウラジオストックへやらないというところにあり、彼の指揮下にある全ての艦艇はこの方針で動いていた。水兵までもが知っていた。もし艦艇のなかの士官がことごとく戦死しても (そういう悲惨なケースはなかったがたとえ存在しても) その艦艇は操舵員や機関兵の手で鬱陵島附近まで運ばれて来たに違いない。
もっとも敵を索むべき海域は広すぎて、すべてを捕捉できるかどうかという物理的困難さもあった。
ただ東郷に幸いしたのは二十八日の夜明は前日に比べ、みごとな朝焼けでもって始まったことである。海上は前日の大うねりが多少残っているが、濛気はほとんどなく、視界はよく利いた。
この払暁、三笠は第一、第二戦隊の各艦と共に鬱陵島の南微西・約三十海里の地点に達していた。
太陽が昇ると、海がびっくりするほどに濃い紺色に変わった。
「見えんな」
と、艦橋では参謀長の加藤友三郎は、不機嫌そうに呟いた。真之は、
「どこかの網にかかるでしょう」
と、答えた。彼は自分の数字を信じていた。彼は敵がそのコースをたどるであろう水域をいくつか設定し、綿密に計算して各戦隊をばら撒いておいたつもりである。

旗艦ニコライ二世の艦橋にいたネボガトフ少将も、ほぼ同時に厳島まど五隻からなる第五戦隊の煤煙をみつけた。
日本側の煤煙は良質の英国炭を使っているために薄かった。このため発見は、日本側よりやや遅れた。
「あの煤煙は味方じゃないだろうか」
と、ネボガトフは、先任参謀のセルゲーエフ大尉にいった。彼はこの陣列のなかにいない戦艦シソイ・ウェリーキーやナワーリンなどが、息せき切って後を追ってきているのではないかと期待した。それらの艦の運命を、ネボガトフが無論知る由もない。
「日本人です」
と、長身のセルゲーエフ大尉が、観念したような小声で言った。
「味方ではないか」
ネボガトフは、他の幕僚達を振り返った。彼は温和な表情を少しも変えていない。彼が発したこの質問は、もしこの附近に味方がいればそれを指揮下に入れて交戦する決意が含まれていたのだろうか。
「敵ばかりです」
と、幕僚が口々に言った頃は、日本の第六戦隊も 「艦影」 のなかに加わっていた。もっとも、第五戦隊にせよ第六戦隊にせよ、捜索を主目的とする弱小艦ばかりだったから、彼らが挑みかかってくればネボガトフ艦隊はこれを一掃する事が出来た。しかし彼らはあくまでも捜索・警戒の任務から踏み外そうとはせず、ロシア戦艦の主砲の射程外に用心深く距離を保ちつつ、送り狼のようにつき従ってくる。

三笠は、第五戦隊からの無電を受けると、すぐその方向に向かって走り出した。
無電は、何度も入ってきた。走りながら敵状がよくわかった。戦艦二隻を含んだ五隻が北東に向かって12、3ノットで走っているという。
「おそらく敗残艦隊の主力でな」
と、加藤が言うと、東郷が頷いた。針路は敵の前途を扼すべく指定された。三笠の後ろに、無傷の主力艦隊 (第一、第二戦隊) が続いている。
午前八時四十分になった。
なお見つからなかったため、 「前途を扼」 するといっても前途がありすぎたのかもしれないという不安が、三笠の艦橋を占めた。
敵の所在地点は、見張りの第五戦隊から打たれてくる無電でわかっている。東郷は二手に分かれることを決意した。
上村彦之丞の第二戦隊をしていきなり敵の所在地へ急航せしめようとした。ただし命じたのは戦闘ではなく、 「接触を保て」 ということであった。戦闘は、第一戦隊である東郷直卒の戦艦戦隊がやらねば討ち洩らす恐れがある。東郷はそこまで用心深かった。
上村の装甲巡洋艦出雲以下が、針路を変えた。その場所へ波を蹴って急航した。戦闘というより捕物に近かった。

ネボガトフは戦闘指揮の位置につくべく、旗艦ニコライ一世の司令塔に体を移していた。
艦長のスミルノフ大佐は昨日の戦闘で負傷していたが押して艦橋に立っていた。この艦長とネボガトフの間を参謀長のクロッスという中佐がひどく忙しげに二度ばかり往復した。
艦長は戦う事に絶望的になっていた。彼は一本眼鏡をかざして四方を眺めていた。日本の戦隊の数は次第に増えつつあった。上村の第二戦隊が出現した時、
「無傷だ」
と、絶望的な声をあげた。もっとも 「浅間」 だけは見えなかった。おそらく一艦だけはロシアの奮戦によって沈めることが出来たのだろうとスミルノフ大佐は思ったが、しかし事実とは違っていた。浅間はこのとき東郷直卒の第一戦隊の方に臨時の属していたのである。
その東郷の戦隊が単縦陣をもって北方の沖に現れたとき、スミルノフの戦意はまったく喪われた。東郷の艦隊がまったく無傷であることに目を見張らざるを得なかった。
三笠は依然とァして先頭にあった。二番艦の敷島に続き、富士、朝日、春日、日進とつながっている。ロシア側にすれば昨日飽き飽きするほど繰り返し見せ付けられた東郷の第一戦隊の陣容であり、驚いたことにどの艦の概観も変化しておらず (遠望するスミルノフの目から見れば) 、今から観艦式に出かけるように生き生きと航進してきた。
(いたい、あれだけ奮戦した昨日の戦いは、あれは何だったのだろうか)
と、スミルノフ大佐は思った。
ロシアの戦艦や装甲巡洋艦で千発以上の砲弾を敵へ送った艦はざらにあったであろう。それらの砲弾が東郷の艦隊にカスリ傷をおわせなかったということは、たとえその無傷の状態を目で見せ付けられても、公算として信じられることではない。
このネボガトフ艦隊を囲むようにして現れた日本側の陣容は水雷艇をのぞいて二十七隻であった。それにひきかえネボガトフの旗艦ニコライ一世は攻撃力も防御力も見ずぼらしい旧式戦艦にすぎない。あとに続く新鋭戦艦のアリョールは海の浮ぶ鉄屑であった。もっとも射撃は多少可能であった。アリョールは徹夜で修理作業をし、二十五門の大小の砲はなんとか射てるようになっている。
ロシア側の五隻の軍艦には、なお生きている乗員があわせて2千5百人いた。彼らはまるで殺されるために存在しているようなものであった。
「むだだ、戦うのは」
と、艦長は呟き、参謀長のクロッス中佐の顔を見た。クロッスは頷き、無言ながら同意を示した。
この参謀長は司令塔のネボガトフのもとに行き、艦長の意向を伝え、司令官としての決意を問うた。
この場合、艦長や参謀長の意見よりもネボガトフの意思決定のみが全てであった。もし降伏ともなれば、軍法会議で死刑を宣告されるのはネボガトフ自身なのである。
もっともネボガトフ自身は既にこういう状況を予想していたらしく、態度に興奮が見られなかった。勝ち目のない戦闘で2千5百の生命を失わしめるのは無用のことだ、という結論に達していたらしく穏やかな物言いで、
「降伏しよう」
と、言った。

『司馬遼太郎全集・坂の上の雲B』 著・司馬 遼太郎 発行所・文芸春秋 ヨ リ