〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
2007/04/03 (火) 第二十二話 ・大邸宅に未練を残した大臣の幽霊のこと
みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑに 乱れそめにし われならなくに (河原左大臣)
八重葎 しげれる宿の さびしさに ひとこそ見えね 秋は来にけり (忠慶法師)

非行少年の陽成天皇 (第十八話) がやめられ、次期天皇を定める陣 (ジン) の座、いわば閣議の評定で、左大臣の源融 (ミナモトノトオル) がこう言い出しました。
「いかがは (どうしてここで議論なさるのだ) 。ちかき後胤 (コウイン) をたづぬねば融 (トオル) らもはべるわ」
融もれきっとした嵯峨天皇の皇子ですから、この野心も無理ではない。しかし太政大臣の基経は、すでにあの地道でおとなしい光孝天皇 (第二十一話) をたてることに心を決めていました。
だいたい源融のように左大臣までつとめ、手八丁口八丁の人間に皇位につかれたら、摂政関白基経の出る幕はなくなってしまいます。しかしまあ、そうとも言えず、
「後胤とはいってもいったん源の姓をいただいて臣下に降った方が、皇位についた例があるだろうか」
ぴしゃりとしりぞけました。
そのくせこの三年後に光孝天皇が崩御されると基経は、光孝天皇の第七皇子で一度臣籍におりた源定省 (サダミ) の源姓をけずって皇位につけました (宇多天皇) 。理屈というものは、正論だから通るのではなく、強者が主張したときに通るというのが、今も昔も政治の世界でしょう。

○男の真情
源融は天皇にはなれなかったものの太政大臣基経をのぞけば臣下としては最高位の左大臣に至り、のびのびと贅沢な暮らしを楽しんだようです。
宮中で五節 (セチ) の舞が盛大に行われた翌朝のこと、かんざしの玉が落ちているのを誰かが拾ってきました。左大臣の融はさっそくどの舞姫のものか、殿中の宿所にたずねさせます。もちろん誰も 「私のです」 とはいいません。
国司や公卿の家から毎年よりすぐって選ばれる若い娘たちには、きっかけを探してはいい寄る男があまた群がっており、たとえ左大臣様でもめったなお答えはできないのです。
そこで融がしかたなく白玉 (真珠でしょう) を未練そうに眺めて作った歌。
ぬしやたれ
(持ち主は誰だろう)
とへどしらたま いはなくに
(尋ねても白玉は答えないから)
さらばなべてや あはれと思はん
(それでは、四人の舞姫さんたち全部を愛しく思いましょう)
可愛いあなたたち四人全部を!、欲張りなオジンですねえ。
もっともこういうのは恋愛情緒を含んだ遊びの歌で、 『古今和歌集』 でも 「雑」 の部に分類されています。
では、彼の恋歌は?。
みちのくの しのぶもぢずり
(陸奥の信夫の里で染めるというしのぶもぢ摺りの乱れ模様のように胸かきむしられ、思い乱れてしまったこの私)
たれゆゑに 乱れそめにし われならなくに 
(誰のせいでこうなったというんですか?、あなたゆえにこうなった私なのに)
“忍ぶのぢずり” には忍ぶ草を摺りつけたのだという異説もあって、芭蕉の 「奥の細道」 に出てくる “もぢずり石” で果たして染めたものかどうかわかりません。ただ、この頃すでに染めの技術は高度に発達しており、草摺りの衣というのは、ひなびた素朴な味を愛でられていました。
だからこれは決して老獪な恋歌ではなく、むしろ思いがけぬ恋におちいって一直線、後さき見えなくなっている男の歌です。
しかも、女はそういう男の真情をあまりわかっていない。 「他にいい方がいらっしゃるのでしょ」 とあしらわれたに違いない。それで 「われならなくに」 という自己主張が、“それなのに、あんまりだ” と恨めしげなのです
○好色の幽霊

国司を歴任し、所領も多くやり手の彼は大金持ちで、六条河原に豪壮な大邸宅を営み、河原大臣と通称されます。河原院は奥州塩釜の海辺の風景を庭に移して有名ですね。毎月三十石の海水を難波から運ばせて池に海の魚を飼い、京に居ながらにして潮汲みの様、塩焼きの烟を眺めて楽しみました。
こんな贅沢な暮らしをしていても人はいつかは死にます。お邸はやがて宇多院に献上される。
世俗の人々はそれを、さぞ融にとって心残りだったろうと考えました。だから河原院には融の幽霊話がまつわります。
宇多院がお邸に行幸になると夜更に笏 (シャク) をもった束帯姿で現れて、
「帝はいらっしゃると、ここに住む私はどうもきゅうくつで恐れ多くて。どういたしましょう」
じわじわと邪魔にするので、宇多院は、
「お前の子孫が私にくれたのに、恨まれる筋合いはない」
とお怒りにまったら、ふっと消えてしまった!。
同じ話が 「古事談」 によるともうちょっと生臭い。
宇多院が月夜にお庭に畳をおろして、ご寵愛の京極御息所 (キョウゴクノミヤスンドコロ) と “房内 (ボウナイ) ” 、つまり、男女のことをなさっている最中に奥の塗籠 (ヌリゴメ) の戸を開いて現れ、
「融に候ふ。御息所を賜らんと欲す」
こっちは好色幽霊。
院は 「汝は存生の時、臣下たり。我は天子たり」
と強く出ますが、この幽霊は院の御腰に抱きつくので、院も半死の思いで人を呼ぶ、というお話。
河原院はしだいに荒れ、こんな怪異のせいもあってか後にはお寺になります。百年後に融の曾孫の安法 (アンポウ) 法師がここに住み、忠慶 (エギョウ) 法師が 「荒れたる宿に秋来る」 という題で詠んだのが百人一首の歌です。

八重葎 しげれる宿の さびしさに
(八重葎がおい茂ったさびしいこの邸に)
ひとこそ見えね 秋は来にけり
(人の姿こそ見えないけれど、秋だけはやって来たのですね)
「恵慶集」 を見ると歌人たちは月夜などにいくたびかこの荒れた邸の風情を楽しんでいたようです。
河原院にて、人の詠み書きたる歌を見ていふよう、
「あはれなるものは世まりや。かくいろひけむ人々いづちいにけむ。言の葉は残り、その人の見えずなきこそあはれなれ」 というに

ふりにけむ人のうへかは
(すっかり古くなってしまったのは他の人の身の上だけだろうか)
たまづさは昔にたらむ
(書かれた文はみんないつか昔のものになってしまうのですよ)
われもかなしな
(そう思うと私も悲しいこと)
ああ、私も、悲しい。
『みもこがれつつ − 物語百人一首』 著・矢崎 藍 発行所・筑摩書房 ヨ リ