〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
2007/03/29 (木) 第二十話 ・ネアカ男が地獄へ行ってイビられること
住の江の 岸に寄る波 よるさへや 夢の通路 人目よくらむ (藤原敏行朝臣)

業平の話が多く出たところで彼の友人の一人を紹介しましょう。
藤原敏行 (トシユキ) 。共に紀有常 (キノアリツネ) 家の姉妹に通う仲で、いわば相婿 (アイムコ) です。
敏行が女に送った歌に業平が返歌を代わって作ったりしたこともあります。肝心の女性そっちのけの詩人同士の創作戦は、業平に歩があったような。
敏行の百人一首の歌も女性の身になって作っていますね。

住の江の 岸に寄る波
(住の江の岸辺にひたひたと寄せる波のように私のところに寄るあなたは)
よるさへや
(昼はともかく夜までも)
夢の通路 人目よくらむ
(夢路にまで人目を避け、私のところへ来て下さらないのですか)
忍ぶ恋心が暗い海辺の波のように寄せてきて生々しく、しかも華麗な歌です。
○明るい人気者
この人もとてももてたに違いありません。若いころ宮中の菊を詠めとの仰せに
久方の 雲の上にて みる菊は
(宮中は雲の上と申しますが、まことこちらで見る一面の白菊の花は)
あまつ星とぞ あやまてれける
(満天の星と間違えてしまいました)  
歌が明るいのです。だから 『後撰集』 の巻一の巻頭の春の歌も彼の歌ですし、宇多天皇の頃に始まった冬の賀茂臨時の祭りの舞楽 「東遊び」 の歌詞も彼の作で、人々に愛唱されました。
ちはやぶる 賀茂の社 (ヤシロ) の 姫小松 万世経 (ヨロズヨフ) とも 色は変らじ
愛唱といえば有名なのが、
秋来ぬと めにはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる
これは鋭敏ですね。
○けがれた写経
この敏行は、歌だけでなく、毛筆をとっても天才という幸せ人でした。
当時は、寺院、山門、御殿などの建築物の額をはじめ、屏風などの室内調度、姫君のお持ち物の草紙類や歌集にも、名人の筆がもてはやされました。そして写経。貴族たちは死後の極楽往生を願い、お金をかけて贅沢な紙をすかせ、能筆の人にお礼を積んで写経をしてもらい、金襴の布地で見事な装幀をさせ、お寺に収めました。
敏行も乞われるまませっせと法華経を二百部も写したのでした。
ところが突然死んでしまった!。
あれよと思う間もなく地獄の閻魔大王の使いに引き立てられて冥土の道を行く。
自分ほどの地位のものが、こんなひどい目に会うのはおかしいと不平をいうと、
「お前は、法華経を書いた科で、訴訟をおこされており、本来の寿命ではないが裁判にかけられるのだ」
「法華経を写してなぜ罪ですか?」
「お前は尊いお経を書き奉る時、精進潔斎し、清い身で、心を打ち込んでそれをしたか」
ガーン!!。
実は精進どころか魚も食べたし、写経の合間に女のもとに通い、書いている最中も、頭の中は女のことでいっぱい・・・・こういうことは全部、心の奥底の事まで地獄には筒抜けで、閻魔帳に書かれていたのです。
清い体で真心込めて書いたお経なら閻魔の王宮に大事に納められ、納めた人々の功徳になります。では、敏行の写したお経はどうなるか?。
しばらく行くと真っ黒な水の流れる大河に出ました。これは確かに濃くすった墨の色。
「これこそ汝が書きたる法華経の墨」
汚らわしい心で敏行が書いたお経は野原に捨てられ、雨に濡れ、こうして大河になって流れているのです。
そういえばさっきから彼の前を行く軍勢はお経の数と同じ二百人。目は稲妻のように閃き、口は火炎のような恐ろしい形相。彼らこそ、敏行に頼んだお経がすべて無駄となり、極楽にも、幸い人にも生まれ変われず、怒り狂って修羅道に落ちた者たち。このたび、敏行を訴え閻魔大王のお裁きがおりたら、みんなで敏行の体を二百に斬り裂いて、一切れずつを責めさいなもうと、舌なめずりして閻魔の庁に行くところでした。
使いの者が言いました。
「二百に斬り裂かれた一切れ一切れにお前の心がある。責められる時のつらさ痛さ、悲しさといったら・・・・・」
○地獄の責め苦
震えあがった敏行が使いに頼み込みようやく教えてもらったのが “四巻経を書いてこの罪をあがなおうという願を立てる” ことでした。地獄の門直前であわてて立てた願は閻魔帳の最後につけられました。
この願をし残しているという理由で敏行は、本来の寿命まで娑婆に帰されますけれど、この時閻魔帳に書いてあった敏行のそれまでの記録ときたらもうびっしりと罪のことばかりで、一つも功徳のことはなかったとか。
幸せいっぱいアカネで楽しそうな人生なのに・・・・・!。
さて、この敏行生き返りまして結構いい年まで生きます。
四巻経は元気になるとすぐ経師屋に頼み紙を継いで巻き物にし、罫線まで引かせて後は書くばかり。
でも、やっぱりこの人はネアカなんです。ま、明日書こう。その明日は彼女の所へ行って暮れる。歌合せに呼ばれたからいい歌もつくらなくちゃ。ま、明日。明日。明日だ・・・・・
とうとう書かずに死んだのです。
死後地獄に落ち無残な姿で友人紀友則の夢に現れ 「あの四巻経の紙を探し三井寺の僧に書いてもらって供養して下さい」 と “大きなる声を放ちて叫び泣き給ふ” ありさまでした。友則が供養した後にもう一度夢に現れ、前よりは心地よげであったとか。
『みもこがれつつ − 物語百人一首』 著・矢崎 藍 発行所・筑摩書房 ヨ リ