〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
2007/03/27 (火) 第十九話 ・貴種流人 汐くみ姉妹といい仲のこと
たち別れ いなばの山の 峰に生る まつとし聞かば いま帰りこむ (中納言行平)

○政変の皇子

在原行平はあの業平の兄にあたります。二人の父は阿保 (アボ) 親王です。
「才、武を兼ね膂力あり」 と記録されるこの親王は、十九歳で九州の大宰府に流されてしまいました。
父平城 (ヘイゼイ) 上皇が弟の嵯峨天皇から帝位を奪回しようとして敗れたからです。(薬子 (クスコ) の変) 。
弟の皇太子も廃され、十七才の身を黒染めにかえ、寺に押し込められました。
そう。皇子という一見高貴な身分ほど、前途にどんな運命が待っているかわからぬもの。政変はいつも皇位継承にかかわっているのです。
阿保新王が都の土を踏めたのはそれから十四年も経って父上皇が崩じてからでした。この時彼は九州で生まれた子供を伴ってきました。長男が仲平。二男が今回の行平です。
新王が都で通ったのが桓武天皇の皇女伊都 (イト) 内親王です。血筋も高貴なら財産もあり、翌年には男の子も生まれました。これが業平。
やがて在原の姓をいただき歴史に名高い行平業平兄弟ですが、二人の育ちはかなり違いますね。行平は不遇な父と、おそらく身分の低い母の子で田舎育ち、一方の業平は内親王邸の一人っ子として、何不自由ない都の水育ちです。
さて天皇家は嵯峨から淳和 (ジュンナ) 仁明 (ニンミョウ) と桓武天皇の三皇子が禅譲し、在原兄弟もすくすくと育ち・・・・・・・
と、いいたいところですが、兄の行平が二十六歳、業平が十八歳の時、また大事件が起こりました。

○密告と死
承和 (ジョウワ) 九年 (842) ときの皇太子恒貞親王を擁しての謀叛が発覚したのです。その謀叛を密告したのがなぜか在原兄弟の父阿保親王でした。
一味が拷問され流され、死に至る騒ぎの間、親王は邸を一歩も出ず三ヶ月間後,冬のはじめに世を去ります。自殺か病死か。いずれにせよ自らの引き起こした大事に無関係の死とは思えません。
阿保親王は死後、密告の功により、一品 (イッポン) を追贈されています。
遺児在原兄弟も喪が明けると、やや急に昇進し始めました。
阿保親王は、自分の父の為に流罪の憂き目に遭いましたが、自身は息子達に恩恵を与える父として死にました。ただ、そこには “密告” という暗さが微妙に付き纏っています。それが青年期の業平に影響を与え、反社会的な性向を助長したのだと説明する人もいます。
でも、行平の方の一生は堂々として立派です。国守、中央官吏を歴任し、有能かつ積極的な足跡を残しています。
弟の業平が途中、官位が停滞して、晩年ようやく蔵人頭左近衛権中将に至ったものの、公卿にはならずに終ったのに比べ、行平は中納言に至りました。摂関良房の後継者基経にも反論してゆずらぬ、政界の重鎮として世を去りました。
○お菓子の松風
百人一首の歌は彼が四十歳を少し出た頃、因幡 (イナバ) (鳥取県) に国守として赴任するときの歌です。
たち別れ
(今から私はお別れして)
いなばの山の
(因幡の山に行ってしまうのですが、その因幡の山の)
峰に生る まつとし聞かば いま帰りこむ
(峰に生えている松ではありませんが、もし私を “待つ” と聞いたならすぐ帰ってきましょう)
いなば (往なば・因幡) 、まつ (松・待つ) と、掛け詞できめた歌はさらりと軽い大人の味です。 弟の業平の情にのめり込む歌とは対照的ですね。
別れる相手への安定した信頼感も読み取れます。
家を永く留守にしたオス猫が、この歌を門口に貼っておくと帰ってくるというのもむべなるかな。わが家でも二年に一度は貼っています。
この行平が須磨に引きこもっていた時期があります。(弟業平の追放のとばっちりかもしれません)
わくらばに 問ふ人あらば
(もしたまたま尋ねる人がいたら)
すまのうらに 藻塩たれつつ わぶとこたへよ
(私は須磨の浦で藻塩のようにしょんぼりと嘆きに沈んでいると言って下さい)
世に背かれた貴公子の静かな語り口は、妙に人をひきつけます。業平の兄上ですもの、ハンサムでないはずもなし。

『源氏物語』 の光源氏の須磨行もこの行平がモデルでしょう。謡曲 「松風」 になると行平に土地の美しい汐くみ姉妹を連れ添わせます。松風、村雨と名付けられた二人が、塩焼き衣を絹の着物に脱ぎ替えて、馴れむつんだのも三年の月日。行平は都に帰り、じきに世を去ってしまう。(ほんとは行平は七十歳まで生きているのですが、そこはお話!)
行平を恋する二人は亡霊となり旅の僧の前で、松の木を行平と見たがえての狂乱を演じます。
「あら嬉しや、あれに行平のお立ちあるが、松風と召されさむらふぞや。」
「あの松こそは行平よ、たとひしばしは別るるとも、待つとし聞かば帰る来んと、連ね給ひし言の葉はいかに・・・・・・」
上手に歌が織り込まれるのが謡曲。
「それは因幡の遠山松、これは懐かし、君ここに、須磨の浦曲の松の行平・・・・・」
能の中でもその情緒性ゆえに格段の人気を保ちつづけた作品です。
ところで江戸時代、この能を見た連中はいろいろのことを言いました。
汐くまぬ日はむつまじきうろこ形
うろこ形は絵を見て下さい。男一人に女二人の関係をやっかんでいるわけ。
きょうだいの中へ寝るから中納言
というのもある。
“松風” というお菓子もありますね。
最後に、このお菓子に寄せた狂歌を。
行平の 賞翫 (ショウガン) ありし 松風を 屑なりともと 思ふひとり寝
『みもこがれつつ − 物語百人一首』 著・矢崎 藍 発行所・筑摩書房 ヨ リ