〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
2007/03/25 (日) 第十八話 ・非行天皇とツッパリ母后の涙のこと
筑波嶺の みねより落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる (陽成院)

○災異頻出

在原業平との恋愛を引き裂かれた十八歳の高子さんを、九歳で后とした清和天皇。その御代には天災が次々に降ってわきました。咳病 (ガイビョウ) が人口の密集する京の都をうちのめし、やがて地方に蔓延して死者のあふれたのが貞観五年 (863) 。九年には大飢饉。十六年には台風が平安京を直撃しました。紫宸殿前の桜が倒れ、各河川が氾濫して都の三千数百戸が浸水。死霊をしずめる御霊会 (ゴリョウエ) が民間だけでなく、はじめて官によって盛大に行われたのも貞観年間です。民間には妙な童謡 (ワザウタ) がずいぶん前からうたわれています。
大枝を超えて、走り超えて
(ア) がり躍 (オド) り超えて
わが護 (モ) る田にてあさる・・・・・・・
自然の猛威に為すすべもなく運命を嘆く人々は、つい思い出すのです。世を統 (ス) べる清和天皇が史上最年少の九歳で三人の兄を越えて即位したことを。---- やっぱり、ろくなことはない。
しかも応天門炎上で、伴善男 (トモノヨシオ) が放火謀反の疑いで配流されてから、まぜか宮中の建物に火災が続きます。
貞観十八年四月、ついに大内裏の正殿である大極殿 (ダイゴクデン) が出火。丹塗 (ニヌ) りの太柱、碧瑠璃 (ヘキルリ) の瓦。壮大で優美な平安京の象徴がごうごうと燃えさかり、焔は左右に連なる回廊から百虎楼、蒼竜楼をなめて、数日消えなかったといいます。
七ヵ月後、二十六歳の若き天皇はご自分の病と災異の頻出をあげて退位されました。
“風儀甚 (ハナハ) ダ美 (ウルワ) シ” “御心 (ミゴコロ) いつくしく、御かたちめでたく” おわしたと記録されている天皇は、外祖父良房が亡くなるとその養嗣子である基経に摂政の任を預けたまま成長されました。そして、ここで王権を取り返すどころか、自分の即位時と同年齢の九歳になった皇太子に譲位して、改めて政権を基経に委ねてしまうのです。ご自分は譲位後仏道に入り、真剣な修業をなさり、二年後にはあっけなく崩御されてしまいました。
○狂疾?
今度即位された陽成天皇の母高子は、摂政基経の実の妹です。基経の宮中での支配構造は、大磐石と思われました。ところが、父の清和天皇とちがってこちらは子供の時から、暴れん坊で自己主張の強いタイプでした。
『古事談』 はこの天皇が三種の神器に手をかけた話を載せています。
夜の御帳 (ミチョウ) の枕上に安置された神璽 (シンジ) (まが玉) の箱を開けられたら、中からもくもくと白雲が起こって、あわてて内侍を呼んで箱をひもでしばらせた。
また、宝剣の鞘をお抜きになったら、ピカピカと不思議な光ガひらめいたので恐くなって打ち捨てられたら、ハタと鳴って宝剣が自分で鞘におさまったとか。
天皇は狂症 (御病気なのだ) と異常行動は世間に説明されます。
しかし、この他、蛇に蛙を呑ませたり、犬と猿を喧嘩させて見物したり、残酷な素質を持っていたとして残るエピソードは、今のワルの子がつっぱって周囲の大人の眉をひそめさせ、怒らせては自分も腹を立てますます反抗し、非行少年のレッテルを貼られてゆく過程を思わせないでしょうか。
後の冷泉 (レイゼイ) 天皇が頭の具合が悪くて屋根の上に坐って笑っていたり、御殿の火事を歌って見物していらしたりするのとは、すこしちがうようですな。

母の二条の后はどうしていたでしょう。彼女の評判も悪い・・・・・。実の兄である摂政太政大臣基経に協力する姿勢がない。
そう、彼女は義父と兄を恨んでいるに違いありません。業平との大恋愛を引き裂かれ、九歳も年少の皇太子妃にされた昔のこと。しかもこのいきさつは、清和天皇となった若い夫との間の深い溝となり、彼女はおんなとしてどれだけ空しいものかを噛みしめてきたことか。初恋の人業平も、夫も相次いで世を去った今、彼女は四十歳を過ぎたしたたかな女でした。
元慶七年 (883) 十一月、内裏に死人がありました。死んだのは天皇の乳母子 (メノトゴ) でお遊び相手の源益 (マス) です。取っ組み合いの喧嘩で殺されたのだとか。
殺したのは天皇だって。あの粗暴な天皇の仕業・・・・・。
風評はぱっと広まる。
このころ太政大臣基経は、政務をボイコットして自邸に引きこもっていましたが、突然参内してくると、天皇が勝手に禁中の空地で飼っていた馬を放してしまいます。天皇もまた行事に不参加してつっぱっていますけど、わがままな暴君に人殺しの風評も加わってしまうと人心は離れ、日に日に孤立してゆきます。
翌二月、十七歳の天皇は自ら退位の旨を書にしたためて基経に送りました。
---- やめりゃいいんだろう、めんどくせえや、ああ、やめてやらあ。
○またスキャンダル
筑波嶺の みねより落つる みなの川
(あの筑波山の雄嶺、雄嶺から流れ落ちてくる男女 (オナ) の川の水のように)
恋ぞつもりて 淵となりぬる
(私のあなたへの恋はつもりつもって深い淵になってしまいましたよ)
エロチシズムをたたえた激しい恋心をうたうこの歌は、おそらく退位後の陽成院が釣殿 (ツリドノ) の皇女に捧げたものです。こういう男性の恋は純粋なんです。
陽成院は退位後の長い年月を、評判のよくないまま八十二歳まで生きました。
母の二条の后もますますいけません。
五十歳過ぎてから僧善裕 (ゼンユウ) との密通が露顕して、善裕は伊豆へ配流、自らは皇太后位を剥奪されるという憂き目に会っています。なんとまあ、恥も外聞もない女?。でも、私はもう一度ここに二条后高子さんの歌を書いておきたいのです。
雪のうちに 春はきにけり 鶯の こほれる涙 今やとくらむ
養父と兄との権勢欲の犠牲となり、曲がった人生を突っ張らざるを得なかった、女のきらめく涙が感じられませんか。その切なさは、非行天皇陽成院にも通じるものではないでしょうか。
『みもこがれつつ − 物語百人一首』 著・矢崎 藍 発行所・筑摩書房 ヨ リ