〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
2007/03/23 (金) 第十六話 ・禁断の実を犯してこそ色男のこと
ちはやぶる 神代もさかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは (在原業平朝臣)

○起きもせず

在原業平の恋の歌はまさに絶品です。たとえば 『伊勢物語』 の二段、西の京の女にやった後朝 (キヌギヌ) の歌。この女の人というのがこれまた普通の人とは違う “かたちよりは心なむまさりたりける” というすてきな人なのですが。
起きもせず 寝もせで夜を 明かしては
(夕べはあなたと二人、起きていたわけでもなく、かと言って眠っていたのでもなく、夜を明かしてしまって)
ウー。それじゃ二人で何してたんだ。そりゃもう、愛し合ったりお話したりだったんですよね。
それに実はこの女性、きまった男が他にいるらしくて、でも大人だから、業平さんとどうなったから別れるの応のと、そんな騒ぎをするつもりはない。かといって業平さんの魅力にも抗い難く。不安定な関係でありながら、二人は心と心が優しく重なった時間を過ごしたのでした。
そうして帰ってきた日は三月 (ヤヨイ) も一日 (ツイタチ) 、長雨がそぼ降っている。
春のものとて ながめくらしつ
(ああ、春の長雨だなあと糸のような雨脚をぼんやり眺めてくらしてしまいました)
情事の後のけだるさがにじんでしかも優雅です。
「仮名序」 の六歌仙評で彼はこう書かれています。
心余て詞足らず。しぼめる花の色なくて匂ひのこれるがごとし
表現しきれぬほど情感に溢れた男なのです。 『古今和歌集』 の恋の四巻の巻頭は、二つが業平、二つが小町、もう一つがよみひと知らずの歌でかざられています。
○斎宮懐妊?
彼が美男子であったことは、国史である 『日本三代実録』 にも記されています
“業平、体貌閑麗 (タイボウカンレイ) (姿も顔もおおらかに麗しい) 放縦 (ホウジュウ) ニシテ拘 (カカワ) ラズ。略 (ホボ) 才学無ク、善ク倭歌 (ヤマトウタ) ヲ作ル”
漢文で名文を作ったりする才は無かったが、和歌を上手に作った。 (もちろん和歌の才などは学問じゃないのです)
“放縦” 気ままで束縛されないと国史で記されるからには当時の人々に印象深い事件が何かあったのです。
それが何なのかは国史は語りませんが、噂の方はヒソヒソ広まって多分尾ひれもつき、物語になりました。
「たいした色男だよね。伊勢の斎宮 (イツキノミヤ) 様にまで手をつけた!」
伊勢の斎宮といえば未婚の皇女が身を潔め、神にお仕えしているのですから、まさの禁断の木の実。男出入りが知れたら、当然退下 (タイゲ) せねばならぬ立場です。しかし当時の斎宮に途中退下の事実はなく、定例どおり次の天皇の即位までの任期を満了しています。だから、何事の無かったのだと主張する人もいる。
しかし、隠し通したのだという噂も根強く、 「古事談」 によれば
“業平朝臣、勅使トシテ伊勢ニ向ヒケル時、斎宮ニ密通シケルト云云懐妊シテ男子ヲ生ム。露顕ノ怖レ有ルニヨリ摂津ノ守ノ守高階茂範ノ子トセシム。師尚 (モロヒサ) コレナリ”
と隠し子の養子先や実名まで出ています。事実か?でっちあげか?どちらにせよ 『伊勢物語』 六十九段での業平と斎宮の切ない別れは、今なお読者の胸をかきむしります。
○あれはなあに?
もう一つ禁断の実のお話を。
太政大臣藤原良房 (ヨシフサ) が、清和天皇に入内 (ジュダイ) させようとかしずいてきた姫君高子 (タカイコ) さんも、業平の手に落ちました。
花咲く十七歳の高子さんに、かたや美丈夫の評判高い業平は、三十を三つ四つすぎた恋のベテラン。これでは熱を上げたのは高子さんと思いきや 『伊勢物語』 に出てくる業平は青年のような純情一途で通いつめます。築地の破れから邸に忍び込み、家人のたてた番人にさえぎられて嘆き、姫君をどこかへ移されて会えなくなると去年まで女のいた邸に一人やって来て、梅の花盛り、月が西に傾くまで女のことを思って臥せている。
月やあらむ 春やむかしの 春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして
夜のほのぼのと明けるころに、泣く泣く帰っていったといういじらしさ。やがて苦心の末に女を盗み出し、暗い夜に芥河 (アクタガワ) のほとりを行く。たぶん震えているはずの姫君が可愛らしい声を出すのはこの時です。
「あれは、なあに?」
指差す方を見ると夜の野原に露がきらきらと光っている。返事をしたのかしないのか、先を急ぐ男は、雷雨に襲われた女を途中の開き倉に入れます。自分は入り口で守っていたのに実は倉の奥に鬼がいて、朝になったら女は一口に食べられてしまっていた。ああ、こんな目にあうのなら、
白玉か 何ぞと人の問ひし時
(あれはなあに、真珠なのとあのひとがたずねた時)
露と答へて 消えなましものを
(あれは露だよと答えて、そのまま私も消えてしまえばよかったのに)
嘘だ!。鬼はもちろんのこと、貴族の業平が女を背負って一人きりで野原を歩いたりするものか!。
といわれているお話ですけれど、お話とすればとても素敵でしょう。女ならこうやっていい男に誘惑されたい夢がありますもの。(現実はたいてい体重がありすぎて不可能なんです)

高子さんとの恋愛事件はかなり事実のようで、彼女が九つ年下の清和天皇に入内してからも尾を引き、業平が一時従五位から従六位に落とされたのも、都を出て東を放浪したのも、このスキャンダルゆえといわれます。
藤原定家は百人一首に、気に入りの業平の絶唱 “春やあらぬ” などの恋歌でなく、次の歌を入れました。
ちはやぶる 神代もさかず
(遠い神代のころにもきかなかった)
竜田川 からくれなゐに 水くくるとは
(竜田川に紅葉が散りこんで、水を唐紅色にくくり染めにするなんて)
屏風の絵につけた装飾的な歌ですけれど、くくり染めというところには才気が光ります。
で、この屏風の持ち主が高子。このころは東宮の御息所 (ミヤスンドコロ) としておさまっている。業平とのこともすでに神代の昔になって・・・・・。
さあ、それはどうか・・・・・?。
『みもこがれつつ − 物語百人一首』 著・矢崎 藍 発行所・筑摩書房 ヨ リ