〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
2007/03/22 (木) 第十五話 ・オバンをも優しく愛した永遠の美男のこと
ちはやぶる 神代もさかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは (在原業平朝臣)

史実はともあれ小野小町は日本一の美女として伝説化されました。しかしその姿はなぜか冷たいのです。彼女を思う深草少将に、 「百晩通ったらお気持ちに沿いましょう」 と難題をふきかけ、少将は雪の降る夜も通いつづけ、小町の邸の軒先で夜を明かし、とうとう九十九夜めに死んでしまった ---- とか。
生涯男と愛し合わなかったという伝説まであります。
男達の恨みのせいか、彼女の末路は悲しく語られます。零落とし欧州の八十島までさすらって野垂れ死にをしたなどと。
その髑髏を見つけるのが東下りをして来た日本一の美男子在原業平でした。なんという美男美女の出会い!。美女の髑髏の目の穴から薄が生え出ていて、風が吹くたびにこすれてささやくような声となり、歌の上句を業平の耳にささやきました。

秋風の 吹くにつけても 穴目穴目
「あなめ」 は 「ああ!目が (痛い) 」 という意味なのかもしれません。業平は供養に下の句を付けました。
小野 (草丈の低い野原のこと。小野小野と掛詞) とはいはじ 薄生ひけり
お話はとにかく美女には残酷です。
では、美男には?これががらりと明るいのが不思議なところ。
○男が欲しい
昔むかしちょっと年をくったオバサンがいました。男の子三人を育て上げ財産もまあまあのひとり身。
“世心 (ヨゴコロ) ” がついた。
---- 男が欲しいな。それも “心なさけ” のある男。
彼女のこれまでつき合った男との関係は、実利的だったり、お座なりだったり。
---- 女に生まれたのだもの。一生に一度 “愛のわかる” 男とつき合いたい。
しかしさすがに口に出しにくく、息子達にそれとなく、でっち上げの夢物語をしました。
「ねえ、おかしな夢を見たんだよ。私がなんと梅の樹になってねえ。雪がチラチラ降る朝にふるえていたら、きれいな鶯がやってきてね。そしたらぱーっと蕾が開いて・・・・・」
長男と次男は嫌な顔をしました。
---- やめてくれよ。この年で色気づいたりして。
取り合ってくれなかった。
お話でよい子はなぜかいつも三番目です。話を聞き終ると、
「お母さん、それは多分、いい人ができるんですよ」
と夢を解いてあげたから、彼女はたちまちご機嫌がよくなった。
「わらァ。まさか。この歳で通ってくれる人なんかいるかしら。オホホ」
この優しい息子は母の胸のうちをすっかりわかって、あれこれ候補を考えてくれます。
---- よし。どうせなら最高の色男に会わせてあげよう。顔よし姿よし、情がたっぷり。男が見たって目つきに色気がにじんでいるあの方。在五中将。
在原家の五男の中将である業平さんが、狩りに出歩いている所をつかまえました。
道ばたで馬の口を取ってひそひそ。
「中将さま実はその、私の母が」
「そちの母が?」
「はい、あの、歳のわりには美人ですがその、男運が悪くてその・・・・かくかくしかじか・・・」
在五中将は青空を仰いでおかしそうに笑ったに違いありません。それから息子の案内で母親の家に行き一晩を過ごしました。
どんな晩だったかって?。それはもう、何しろ業平中将の凛々しい狩衣姿を見ただけで、女の方は全身じんとしてしまったのですし、この男のささやく言葉の甘いこと。いやが応でも女の態度はあがってしまい、夜が明けたのも夢のよう。男が帰ってしまってからしばらくは霧の中にいるようにぼうっとしている。
---- ああ、なんて優しい男だろう。ああ、こんな男がこの世にいたのだわ。
でも、ふと気がついてみたらずいぶん日が経っている。
---- それはね、お忙しいとは言ってらしたけれど、それでもね。
待てど暮らせど来ぬ男に、会いたい気持ちがまさり、居ても立ってもいられない。
とうとう男の家に様子をうかがいに行きました。垣根の間からこっそり覗いていると、男がこちらを振り向いた。女を見つけたらしく微笑が浮ぶ。
あら、どうしよう。女のくせに男の家を覗いたりして、はしたない。
すると男は横を向き、女に聞えるように歌を詠みました。
○つくも髪
百年 (モモトセ) に一年 (ヒトトセ) たらぬ つくも髪
(九十九歳の白髪頭のおばあさんが)
あ、私のことだわ。イヤン。何てこというの。意地悪・・・・・・
われをふらし おもかげに見ゆ
(私を恋しているらしいよ。姿が幻になって見えるから)
さっと立ち上がり、外出の支度を始めましたから、彼女は飛び立つ思い。
あっ。来てくれるのよ。たいへんっ。
大急ぎで近道を走って帰りました。途中でいばらやからたちの棘にひっかかりながらというからすごい勢い。
邸の戻ると、息をしずめ、着物を着替え、しどけなくうつぶして男を待っています。でも、なかなか来ない。
---- 誤解だったんだわ。あの人、他の女の所へ行ったんだ。
しょんぼりして寝につくころ男が邸の外に立ちました。垣根の外から覗くと、女の悲しげな声が聞えてきた。
さむしろに衣かたしき
(しとねに自分の着物だけにくるまり)
今宵もや恋しき人にあはでのみ寝む
(今夜も恋しい人に会わないで一人ぼっちで寝るのでしょうか)
“男、あはれと思ひて、その夜は寝にけり” と 『伊勢物語』 は書いています。よかった。ハッピーエンドで。
でも実はこの段はその後の結びの言葉がまたいいのです。
“世の中の例として、思ふをば思ひ、思わぬをば思はぬものを、この人は思ふも思はぬも、けぢめ見せぬ心なむありける”
この在五中将業平は、自分が好きだと思おうが思うまいが、女が自分を愛してきたら誰でも (年寄りだろうが顔が悪かろうが) 差別せず愛した!、すべての女が恋人、という大きな大きな愛の持ち主なんだそうです。
小野小町は誰にも身を任せない。在原業平は誰とでも愛を交わす。日本一の美女、美男の違いが面白い。
『みもこがれつつ − 物語百人一首』 著・矢崎 藍 発行所・筑摩書房 ヨ リ