〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2007/04/25 (水) 鴻門の会 (九)

酒宴では、項羽は東面した。おじの項伯を陪席させておなじく東面させたのは、劉邦との縁を項伯が取り持ったことによるものであった。項伯が項羽陣営の次席的な要人であるというわけではない。項伯をそこに陪席させたということが、項羽の劉邦への感情の好転と受け取れないことはなかった。
亜父范増が、項羽陣営の最重要人物であった。彼は痩身をひそひそと移し、南面してしわった。劉邦には北面の席が与えれれている。自然、范増と向かい合うようになった。この位置は、位置だけですでに劇的であったといっていい。
張良は劉邦が連れてきた唯一の陪席者であった。彼は貴婦人が微風に吹かれて夕涼みにでもしているような静かな表情で、与えられた西面の席に座っていた。
それらの中央の大きな空間は、酒肴を運んで動き回る人々で渦を捲くようにいそがしかった。
関中の民は、餓えている。
しかしここだけは別世界のように豊富な肉があった。招宴というのは戦国以前からこの大陸における最高の儀式であり、神を抜いて人間だけが相互に喜びあう宗教行事のようなものであた。あらゆる料理もまた権力者の招宴を媒介として発達した。
范増は小食なのか、老いているせいなのか、やわらかいものを二、三きれ口に運んだきりで、あまり箸を動かさない。
項羽は、大いに食い、小石のような歯で盛んに咀嚼した。
この男の大きな体に詰め込まれた重い筋肉を養うためには、並み大抵の摂取量では間に合わないようであった。
大いに飲みもした。目の前の多種類の酒器が、みるみる空になった。
劉邦も、その欲望の強さに比例するように生来の大喰いせあったが、この日はただ皿の上に箸を游がせていることのほうが多い。
(馬鹿な奴だ)
范増は、腹が立った。劉邦に対してではない。
范増はすでに項羽が、気組みをくじかれたことに苛立っていた。劉邦がもし威儀を正し、自尊心を保ちつつやてくれれば、項羽の剣は劉邦を斬るべく騰ったであろう。
項羽は抗う相手や昂然と頭を持ち上げている相手には火のような猛気を発するが、劉邦は入ってきた早々に五体を地に投げて哀を乞うた。項羽は、拍子を失ってしまった。
(狡猾な劉邦は、項羽の性格を知っている。出鼻を挫いたのだ)
范増は、そのことも予想していた。
第二手段として、酒宴で殺しなされ、と項羽に献策してある。今が好機だ、というときに自分は腰の? (ケツ) (玉で作ったドーナツ形の装身具。一部分、欠けている) を鳴らす、それが合図です、すかさず大王は帷幕の外の剣士に命じられよ、と言い含めてあった。
やがて范増は、好機だと見た。 ? (ケツ) を何度も鳴らした。
が、項羽は大きな口へさかんに肉を運ぶのみで無視した。この日の料理に豚の肩肉があり、項羽の好物だった。といって項羽は自分の下あごの咀嚼運動のために耳目がかすんでいたわけではなく、もはや殺す気がなくなっていた。
彼は劉邦の弁疏 (ベンソ) を信じたわけではなく、第一、弁疏の内容などろくに聞いていなかったし、憶えてもいない。
項羽は本来、視覚的印象で左右された。すでに劉邦を見た。その体全体が、寒夜の病犬のようになってしまっている劉邦にその本質を項羽うなりに見てしまい、こんな憐れな奴を俺が殺せるかと思った。
その思いがつづき、宴席で北面している劉邦の姿を見ても印象が少しも変わらない。むしろ范増が合図をする? (ケツ) の音がわずらわしかった。
范増はたまりかねた。
(項羽は馬鹿だ。あいつは平素、ほんの粟粒のような、しかし何かの拍子に野放図にそれが広がって項羽の人格そのものになってしまうあの奇妙な気質のために自分自身の墓穴を掘るのだ。否、すでに掘ってしまったのだ)
と、ここで大声で叫びたかった。その衝動が范増に席を立たせた。帷幕の外に出ると、人を探した。
「荘、荘」
と、闇に向かって、犬を呼ぶようなひそやかな声を立てた。
すぐ見つかった。
護衛隊長格の項荘であった。項羽の従弟の一人で、将帥には向かないが、機敏で力があり、項羽の身辺を守る男としては最適といえた。
范増がこの男を気に入っていたのは、項羽以上に自分の志がわかってくれていることだった。
范増はすでに老いてこの俗世に何の野望もなかったが、ただ自分が考え抜いて一つずつ手を打つ策を一個の遊戯と見、それを芸として見事に仕上げてみたいという欲望だけがあった。
この構想の素材はいうまでもなく項羽である。この場合、今日の会のように素材自身が勝手に芸をしてくれては范増は甚だ困るのである。その間のすべてを項荘は知っており、かつ范増も安心して、今朝、この項荘にだけは秘策を授けておいた。
----- 百策ことごとく水泡に帰すれば、あとは尊公の一剣に頼る以外にない。
余興に剣舞を見せてその隙に劉邦を刺せ、ということだった。項荘は剣技に長じていたが、それ以上に剣の舞が上手かった。
----- 尊公が殺るなら、大王 (項羽) も許す。
他の者なら項羽はどんな反応を示すかわからないが、従弟であるということでむしろ他の者に尊公の勇を誇ってくれるだろう、と范増は言い含めた。
項荘は宴席に入り、中央に向かってすべるように進み出た。項羽の従弟であるというので、この出現は劉邦から見ても異様ではなかった。
「沛公の寿をことほぐために、ひとさし剣の舞を舞いましょう」
と、項荘は優雅に挨拶し、剣を抜いた。
劉邦はもう息を出し入れしているのが精一杯だった。
やがて項荘は白刃をゆるやかに動かして舞い始めた。視線は時々他へ転ずるが、節目ごとに鋭く劉邦へ注がれた。
このとき、杯を置いて立ち上がったのが、銹びた鉄の面のような顔をした項伯だった。
「舞手が一人では、剣の舞になるまい」
と言い、するすると中央を半ばまわって剣を抜き、項荘に合わせて舞いはじめた。おいの項荘が突進しようとする気配を見せると、おじの項伯はたくみに劉邦の前に立ってかばった。
(が、いつまでかばいきれるか)
張良は、思った。
(もはや、何の策もない。あとは、樊? (ハンカイ) の勇気に頼るのみだ)
張良は思い、中座した。
急ぎ軍門まで出ると、門外を塞ぐようにして樊? (ハンカイ) が左肘に盾をかかえ、立ちはだかっていた。張良は事の急迫を告げ、
「卿の死ぬ時が来た」
と言った。
聞くと同時に、樊? (ハンカイ) の巨大な肉体が門内へ突入した。
項羽の護衛兵が阻もうとしたが、盾で押し飛ばし、帷幕の中に入った時、誰もがそこに雷電が落ちたような感じを受けた。樊? (ハンカイ) は立ちはだかったまま正面の項羽をにらみすえ、
「自分は大王を尊敬してきました。しかしそれは間違いだった」
と轟くような声をあげた。
生来訥弁の男だったが、人変わりしたように言葉が次々と噴き上げ、大王は沛公の大王への誠実がなぜわからないのか、その忠良に酬いるに誅殺をもってするなら天下の人心は大王から離れるだろう、という意味の言葉を叫びに叫んだ。
項羽の反応は異様だった。大いにひざを打ち、名は何というか、と朗らかな声で聞いた。
「誰か、この者のために座と肉を与えよ」
と言ったのは、よほど気に入ったからであろう。項羽は、陰気にうずくまっている劉邦や張良を見てこの宴に飽きてきたところだっただけに、この意外な役者が炸裂するようにして空気を一変させてくれたことを喜んだ。
その上、項羽は自分自身がそうであるようにこういう種類の男が好きであった。好きだが、この種の勇者は、鬼 (ユウレイ) と同様、めったに見かけることが出来ない。であるのに樊? (ハンカイ) が項羽のふるえるほど好きなその典型を見事に演じてくれたのであえる。
「壮士だ。これこそ壮士だ」
俺は今壮士をたしかに見ている、という言葉を繰り返した。
壮士という言葉ははるかな後年、日本語の中に入った時、志士を気取りつつ実は打算で動き、小利にころび、平素政治上の壮語をして実際は恐喝でもって衣食している徒を指すようになったが、この時代は戦慄するほどに新鮮な言葉とされた。
戦国期を経た社会が、極めて希少な一典型として生んだ精神で、わずかな義と侠のために即座に自分の生命を断つ者のことを言う。
張良は、この綱渡りが半ば以上過ぎたと思った。智も略もなにもかもが及ばなくなった時、世の論理からまったく外れた非条理のしろもの ---- 項伯といい、樊? (ハンカイ) っといい ---- を台地に叩きつけて閃光を発しさせる以外に手がない。そうすれば、あるいは劉邦は助かるかも知れなかった。
樊? (ハンカイ) ために宴席に混乱が起こっている。これを機に劉邦は席を外した。誰もが厠へたつのかと思った。
が、劉邦は遁走してしまった。

あとは、張良がとりつくろった。
彼は劉邦からあずかった贈物 ---- 項羽には白壁一対、范増には玉斗 (さかずき) 一対 ---- を差し出し、優雅に作法しつつ辞去した。
そのあと、客の帰った宴席で、范増一人が形相を変えて立っていた。やがて剣を抜き、贈られた玉斗を叩き割り、
「小僧 (項羽) 」
と、すでに席にいない項羽をののしった。
世は劉邦のものになるだろう、連中 (項羽の血族・幹部) はやがてはことごとく劉邦の虜になる、思い返せば、小僧は所詮小僧に過ぎなかったのだ、と言った。

『司馬遼太郎全集・「項羽と劉邦 一」 』 著・司馬 遼太郎 発行所・文芸春秋 ヨ リ