〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2007/04/24 (火) 鴻門の会 (七)

翌朝、劉邦は馬車で霸上を出た。
車内で陪乗する者は小男の長良であり、馭者台の横に座っているのは、樊? (ハンカイ) であった。樊? (ハンカイ) は岩のような肉体を上等の甲冑で包んでいた。樊?は、
(今日、俺は死ぬだろう)
と、覚悟していた。あきらめと、それ以上に積極的な激しさが樊? (ハンカイ) の五体にみなぎっていた。
樊? (ハンカイ) は人間として不必要すぎるほどに強靭な肋骨と生きてゆく上で邪魔になるほどの感激性を持ち合わせて成人してしまった。ただ体が大きいわりには欲望が少なく、沛の町で狗肉売りをしていたときも、変に無欲だった。淋しがり屋でもあった。
劉邦を知った時から劉邦について歩きたがり、劉邦の側にさえいれば多量に持っているその淋しさの感情がまぎれるたしく、ついには劉邦がいないとこの世で生きてゆく気もしなくなるほどにまでなった。
(今日、わしは死ぬのだ)
彼は繰り返し呟いた。
樊? (ハンカイ) に栄達欲などはなかった。劉邦が死ねば自分も死ぬし、劉邦の死をまぬがれさせる為なら自分は千度死んでもいいと思っていた。
劉邦の馬車に前後している人数は、百騎あまりに過ぎない。
それらを指揮している者は、沛の県庁の馭者だった夏候嬰 (カコウエイ) 、?彊 (キンキョウ) らであった。彼らもまた大なり小なり樊? (ハンカイ) に似たような感情をもって劉邦に結びついていた。
彼らにこういう感情を起こさせる劉邦というのは、やはり特別な人間であるかも知れず、逆に彼らが異常なのかも知れなかった。
劉邦は車中でその長い上体を揺れさせている。
霸上の丘から本道に出た。左へ湯行けば咸陽だが、劉邦らは右へとった。道ははるかに潼関 (トウカン) 函谷関に通じているが、めざす鴻門はむろんそれよりもずっと手前である。
馬車の前方の右側に冬でも青く、それだけで奇跡のような感じがする驪山 (リザン) の丘が高く盛り上がっており、あとはその青い一点を引き立たせるように一面の黄土地帯が広がっていた。
馬車が驪山 (リザン) の北麓をかすめて過ぎた時、劉邦はすこしめまいがした。
「夕べは眠れなかった」
と、劉邦は肩を落とし、張良に言った。血の気のない顔が、頸からぶらさがったようにして揺れている。
(正直な男だ)
張良は思った。あるいは劉邦が劉邦であるのは、自分の弱みについての正直さということであるかも知れなかった。
「あれに、始皇帝の陵が見えます」
張良が、劉邦の気を紛らわせと思って、指をあげた。
「見える」
劉邦はうなずいた。あの陵墓の賦役から逃げた自分が遂に秦をくつがえした。その自分が、いま屠所に曳かれるように項羽の陣営に向かっている。そのことを地下の始皇帝はどう思っているであろう。
(秦を滅ぼしたのは、はたして俺だろうか)
劉邦はごくあっさりと、
(俺ではない)
と、思っていた。この男は、こういう点での自分をよく知っていた。
かえりみると始皇帝の死後、大小の流民がしだいに数を増して行き、ついにはその一方の大親分として自分が存在するようになったが、しかし項羽の吸収力のほうが巨大で、人数の点では比較にならなかった。
しかもその項羽が河北で秦の主力軍をひきつけておいてくれたおかげで、自分は河南へ南下し、関中にその南方の搦手 (武関) から入ることが出来た。
功の九割までは項羽に帰せられるべきだということは劉邦にもよくわかっていたし、関中に先ず入った自分を項羽が怒っている気持ちも、当方から手を拍って尤もだと声をあげてやりたいほどにわかっている 。
もともと劉邦という人間のある部分にはその種のことがよくわかる聡明な感覚があった。
ただ、いま車中に揺られている劉邦は、自分の肉体から魂魄が半ば離れはじめているような感じもする。
(なにか、挙兵以来、宙に浮いてここまで来たようだ)
越し方を思うと、煮えたぎった油の上に浮游している何かのようにしか自分が感ぜられず、つかの間にこういうはめになってしまったような感じがしないでもない。
(川波が奔るままに浮んできたような)
と、魂魄が思ったのか、劉邦が思ったのか、そのあげくの果てが死であり、それが、眼前に迫っている。
----- 躍らされてしまった。
とも思った。
数万、数十万の人間どもに劉邦は担ぎ上げられてその人津波の走るがままに宙を飛んでここまで来たようでもあった。
踊らされたといえば、楚の懐王に踊らされたということもあるであろう。
懐王は項氏によって立てられた王にすぎなず何の実体もない。武力も無く、家来も無く、項氏がその気になれば縊り殺すも出来た。
懐王とその側近はそれを知っており、なにを仕出かすかわからない項羽を懼れ、その為にわざと項羽を北方の秦軍にあたらせ、小部隊の劉邦を指名して西進させた。
関中に早く入る者を関中の王とするということを懐王が宣言したのは、懐王自身の恐怖心理がつくり出した方針だった。
劉邦に功を立てさせることによって項羽の毒を制しようとしたことはまぎれもないことであったし、そういうことを思うと、劉邦とは何であったか、懐王の傀儡に過ぎなかったのではないか。
劉邦は、死への怖れの中でそう思っている。
(かといって、今まで俺が踏んできた道以外に、死をまぬがれる方法があったか)
唯一つある。
今となってはその選択は遅いが、早くから項羽の忠良な一将に甘んじておくという方法だった。
(しかしそれは)
と、劉邦は自らの無能をかえりみて苦笑する思いだった。
麾下の武将というのは能力が要る。臆病で戦下手で身動きが鈍く、ろくに文字も知らない劉邦が、項羽の追い使う一将になれるはずがなかった。
劉邦は、我ながら自分が不思議な存在だと思った。彼自身の下に流民が集まってしまったのである。彼こそ食わせてくれるという噂が四方に広まり、二乗三乗というふうに流民が増えに増えた。多くは蕭何 (ショウカ) の功績であったが、それらを劉邦がともかくも食わせたことは、まぎれもない。
そういう流民のための食わせる象徴のようなものが劉邦であったし、このために項羽とも対立した。
項羽にとっては、劉邦が関中に早く入ろうが入るまいが、抹殺すべき存在だった。
劉邦はそれらが、よくわかっている。
「張子房」
劉邦は、力なく張良に言った。
「わしは沛の町でごろついているだけの一生でよかったかも知れない」
「----- それは」
張良は、慰めるべき言葉を探した。やがて気の毒そうに劉邦を見て、
「天命でしょう」
と、言った。そう言うしかなかった。張良は劉邦について抜け道を考えてみたが、どう思案をめぐらしても項羽に殺されるべき存在だった。
天命であればこそ、時に抗い、時に泣き、時に屈し、時に戦って、もがきながら項羽に立ち向かって行く以外になく、このたびはなりふり構わずに項羽に哀訴すべきであった。自分がいかに忠良であるかを述べ、なりふり構わず号泣してもいいから相手の惻隠の情に訴え、その情を動かすしかありません、と長良は言った。

『司馬遼太郎全集・「項羽と劉邦 一」 』 著・司馬 遼太郎 発行所・文芸春秋 ヨ リ