〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2007/04/22 (日) 鴻門の会 (六)

項伯が二十キロを駈けて鴻門の本営にもどった時は既に夜が更けている。項羽は既に眠っていた。
項伯は近侍の者に頼み、むりやり起こさせた。項羽は目を覚ましたが、体には眠りがつづいていて、機嫌が悪かった。
「誰が、何の用だ」
と、どなたが、相手が項伯であると聞くと沈黙し、やがて起き上がって衣服を着替えた。項羽は粗暴とされているが、血族の長者に対しては別人のように行儀がよかった。この点憐れなほどに良家の躾の名残りを思わせた。
項伯は帳外にある。寒気で凍ったしばらくこすってから帳内に入り、次いでおいの寝所に入った。先ずいきさつを話し、劉邦の言葉を伝えた。
「おじ上は、劉邦に会われたのですか」
項羽は、驚いた。が、おじの行動については少しの批判もしなかった。
項羽は、この単純で行動的なおじが好きだったし、またおじが持っている倫理観も、自分の気質のある部分に強く響くものがあった気に入っていた。項羽のこういう気性の小気味良さは、劉邦にはなかった。しかしいかに項羽でもこのおじに高等攻略をやってもらおうとは思っていなかった。
「おじ上、もう決まってしまったことです」
総攻撃について、項羽は不機嫌な声出でそう言った。夜中、こんな話を聞くだけでも、范増は怒るのではないか。
「誤りは、どういう場合でも正すべきです」
項伯は、倫理に関してしか言わない。
「私は誤っているでしょうか」
と、項羽はいよいよ不機嫌な顔をした。
「誤まっておられます。よくお聞きあれ。沛公がいち早く関中に入ったればこそ我々はやすやすとこの秦の故地に入ることが出来たのです。劉邦に邪心は無く、大功のみがあります。それを撃つというのは、義に背きましょう」
「義に-----?」
項羽の顔に驚きがはじけた。義というのは後の世で倫理項目に入るのだが、この時代では生きて跳ね返るように新鮮な感覚語で、項羽のように市井の無頼の暮らしを送ってきた人間にとって、平素義に反することをやっていながら、面と向かって義に背くといわれると思考の数式を最初にもどしてしまうほどの力を持っていた。ましてこの種の感覚の中で生きてきた項伯が言うのである。
項羽は戸惑っただけに、いよいよ不機嫌になってきて、
「では、おじ上は、どうせよとおっしゃるのです」
と、言った。項伯が、答えた。明日劉邦がやって来る、その言い分を先ず聞いてやってもらえまいか、それだけのことです、と言うと、項羽は救われたように、
「そうしましょう、戦はいつでも出来ることだ」
と言った。項羽はそういうぐあいの男だった。彼にとって、気分のいい景色がつぎつぎ前方に展けてくればいいだけとさえいえる。項羽にとって、不愉快な景色あるいは彼の想念に何の景色も映じてこないという話し方、または話の内容ほど嫌いなものはなかった。
項羽は、すぐさま范増を呼んだ。項伯が去るのと范増が入ってくるのと、ちょうど入れ違いだった。范増は嫌な予感がした。
「亜父 (アホ)
項羽は、珍しく微笑してよんだ。
かって居巣 (キョソウ) の町で時勢についての評論ばかりしていた頃の七十の老爺を、項羽は死んだ叔父項梁から引き継いで使っていたが、項羽とは思考の系列が違うため、当初、この男の言うことが小うるさくていやだった。
しかしその後、范増の計略がことごとく中るのに驚き、自分の唯一の参謀として尊重し、ついには父に亜 (ツ) ぐ者、という敬称まで項羽は用いるようになっている。
血族秩序というものが倫理体系の基本であると言うのは、この大陸ではその後にやって来る儒教時代以前から既にそうであった。このため交友の最も強烈な形を義兄弟と呼び、また長者に対する最高の敬意を込めた呼び方を亜父と称した。
もっとも亜父という言葉自体は、項羽が范増をよんだ場合以外に、あまり見当たらない。
「こういう仕様になってしまった」
項羽は、項伯がやってきた一件を告げた。
(やはり亜父などと言いつつも、実のおじの言葉の方を重く用いるのか)
と、范増は思ったが、しかし項羽の性格について誰よりも明るいこの老人は、別の見方を持っていた。項羽が時に閃光のように方針を変えることがある。その動機は功利的な計算によるものでなく、項羽自身が感ずる美的な衝動によるものであるということだった。
例えばかってあれほど項羽を苦しめた秦の章邯 (ショウカン) 将軍が、ひとたび剣を脱して項羽の前に身を投げ、降を乞うと、項羽の中から多量の愛情があふれ出てしまった。その生命の安全を保障するばかりか、章邯自身がとまどうほどに優遇してしまう。そのくせ章邯の旧部下二十万の場合、項羽は彼らが楚軍に不満をもつと聞いただけで、最も残忍な方法で大量虐殺してしまうのである。
項羽にも、愛情や惻隠 (ソクイン) の情があった。むしろ人よりもその量は多量であった。しかしそれは項羽自身が対象を美 -- あわれ --- と感じねば、蓋を閉ざしたように流露しなかった。
項羽が美と感ずるのは、陽の洩れる板戸の隙間ほどに幅が狭かった。彼自身の自尊心が十分に昂揚できる条件下において相手が一筋に項羽の慈悲にすがろうとしている場合のみであった。
といって、この男は愚者ではなかった。人の阿諛 (オベッカ) には動かなかったから、この間の項羽の性格の機微はまことに微妙というほかはない。
「おっしゃることは、わかっています」
范増はわざとうなずいてやった。
「ただ大王の」
と、范増は ---- 他の者もそうだが ---- そういう敬称を用いている。
「将器が大き過ぎて、劉邦の本質がお眼の中に入らぬというのが私の憾 (ウラミ) みです」
たしかに項羽は、劉邦への評価が小さく、戦に弱い臆病者という程度でしか見ていない。将器が大きいと范増がいったのは多少の修辞でもある。自尊心が強すぎる者は他人がよく見えない、という程度のことを、范増はそのように言ったに過ぎない。范増はむしろ劉邦の方を恐るべき者と見ているということは既に述べた。それ以上に、劉邦という男の幸運さが異常だと思っていた。大王は天授のものだと信じているこの大陸の形而上学では、この種の幸運は天の作用だとされている。范増も劉邦に対し、気味の悪い予感であったが、それを感じていた。
----- だから殺すべきだ。
と范増は思うし、この場になっても、別な表現で項羽に説いた。幸い、この陣営に劉邦がやって来る。剣士を伏せておき、機を見て誅殺し、
「---- 禍根を」
と、范増はそこに劉邦の柔らかい咽喉があり、ここに剣があるように、
「断つべきです」
と、言い切った。
項羽は、うなずかざるを得なかった。

『司馬遼太郎全集・「項羽と劉邦 一」 』 著・司馬 遼太郎 発行所・文芸春秋 ヨ リ