〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2007/04/20 (金) 鴻門の会 (三)

函谷関は、入ってからのほうがさらに道幅が狭く、わずかに一車を通す程度である。その一筋の径を両側から山壁が人馬を押し潰すようにして斫り立ち、文字どおり函の中を行くようであった。
項羽軍は、実数十万という大軍である。 函谷関から潼関 (トウカン) という関中の咽喉部まで普通なら徒歩一日半の険路だが、人馬がおびただしすぎるために二日半要した。
潼関を出ると、長い隧道 (ズイドウ) から出てきたようにはじめて視界が開け、西北遠く沃野が連なるのを見る。
見たとき、士卒たちは見た順に歓声をあげた。目の前に天府の地といわれている関中の野が広がっている。
「劉邦は、霸上に布陣している」
という情報を、范増は得た。
さらに次々に入ってくる情報は、濃密な劉邦像をつくりあげるのに十分だった。
----- 劉邦を攻め殺す。
と、范増はその一点に方針を絞って余念がなかった。
項羽は劉邦など秋の戸外に飛ぶ蚊のような男だと思っているが、范増にとっては逆だった。
劉邦は人の意見をよく聴き、巧みに採用している。あの男の前身が沛の町の食い詰者に過ぎなくても、その不思議な器量で以って、ときにその能力は項羽に百倍することがあるかもしれない、と范増は思っていた。
「劉邦はおそろしい男です」
范増は、騎行する項羽に馬を寄せて、言った。
「沛の町にいたとき、あの男は人がへきへきするほどに女好きで、欲深男だったときいています。しかしいま、関中に在りながら咸陽の金殿玉楼を封印し、秦の宮殿に住む美女たちに目をくれず、ことさら人気の少ない?水 (ハイスイ) のほとりの台上に本営を持ち、くそまじめにとり澄ましているというのは、天下を望む大望があるからです」
「愚かな奴だ」
蚊が取りになろうとしてもできる話ではない、と項羽は鼻を鳴らした。
「一気に攻め、一気に劉邦を殺すべきです」
范増が言った。
(この老人は、くどすぎる)
項羽は、わずらわしくなっている。劉邦ごときを攻め殺す話を、なにも粋を荒げて言う必要はあるまい。
「口実は?」
項羽は言った。名分が要る。劉邦はいまのところ友軍の将であって、敵ではないのである。
「口実?」
范増は、しぼりあげた濡れ手拭のような笑いじわをつくってから、口実など作ればよろしい、要は劉邦を殺すことだ、と言った。
「第一に、函谷関を兵で固めて、楚の上将 (ジョウショウ) であるあなたの入関を拒んだ。これだけでも劉邦は烹殺 (ニコロ) される理由が十分でしょう」
と言った。
さらにその上、別な口実がむこうから飛び込んできた。
この夕、劉邦の陣営から密使を范増のもとによこした者があり、その百姓姿の者を捕えてみると曹無傷 (ソウムショウ) という劉邦軍の左司馬 (サシバ) が出した使者であることがわかった。
「項将軍にお味方したい」
と、密使は曹無傷口上を低い声で述べた。曹は、項羽軍が自軍の五倍もあることを知り、劉邦の運命を見限ったのである。曹と同じ心境の者が、当然劉邦軍に多いであろう。曹の密書のなかに、
----- 劉邦は項将軍をさしおいてすでに関中王の位に即き、咸陽の珍宝を独り占めにしております。
という意味のことが書かれていた。讒訴の目的は項羽の勝利後、候にありつきたいということだった。
范増はこの密使を陣営にとどめ、項羽に報告し、劉邦はこの罪一つで車裂きにされてもよろしゅございましょう、といった。
項羽は劉邦と会おうとはせず、使者も送らず、無言のままその大軍を展開した。
新豊台 (シンポウダイ) と呼ばれている台上の一角に鴻門といわれている高地があるのに目をつけ、ここに本営を据え、十万の大軍を霸上の劉邦軍に対し翼を広げたように布陣した。
布陣が完了したのは、日没前である。劉邦軍との距離はわずか二十キロにすぎなかった。
「明朝、士卒に大飯を食わせろ」
と項羽の言葉どおりの命令が、布陣した夕刻、諸隊に発せられた。大飯を食わせろ、というのはその直後に攻撃前進がはじまるというというのが慣例で、諸隊は大いに緊張した。
だけでなく、劉邦軍をぶち破って咸陽に突入し、つかみ取りに財宝を得るという昂奮もあり、兵気は沸き立つように盛んだった。元来、項羽は略奪を禁じなかった。これを禁じれば士気が大いに沈滞するということを知っていたのである。

『司馬遼太郎全集・「項羽と劉邦 一」 』 著・司馬 遼太郎 発行所・文芸春秋 ヨ リ