〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
2007/02/11 (土) 砲 火 B 

○海軍に課せられたこの緒戦での任務は、旅順艦隊を撃って制海権を確立することと、朝鮮の仁川に陸軍部隊を揚陸することであった。
主力は旅順口へ行く。
この日午前九時、連朗艦隊主力は佐世保港から出撃した。
先ず千歳 (二等巡洋艦) を旗艦とする第三戦隊が出港した。千歳、高砂、笠置、吉野の順で出て行く。それを在泊艦が、登舷礼式万歳の声で送った。ついで第一から第五までの駆逐艦、大九、第十四水雷艇隊が波を蹴ってこれの従い、さらに上村彦之丞中将の率いる第二艦隊の第二戦隊が、旗艦出雲 (一等巡洋艦) を先頭に、吾妻、八雲、常盤、磐手と続いて出て行く。最後にこれら 「連合艦隊」 の中核である第一戦隊が、三笠 (一等戦艦) を旗艦とし、朝日、富士、八島、敷島、初瀬の順で出て行き、それに水雷艇などが続いた。
これらを、東京の軍令部から来た大佐山下源太郎が、全海軍を代表して見送った。
昼頃になると、昨日まで各種艦艇であれほど混雑していた港内が、ほとんど空になった。
ただ数隻の中型艦が残っている。二等巡洋艦の浪速に同高千穂それに三等巡洋艦の明石、新高さらにただ一隻だけ大きいのが、一等巡洋艦の浅間 (9750トン) である。
これらを瓜生戦隊と称されており、陸兵を護衛して仁川に上陸させるべき役目を担っていた。
午後二時、瓜生戦隊は出港した。その時は既に二千二百人の陸軍の上陸部隊 (小倉、福岡、大村から集めた四個大隊) が、三隻の輸送船に収容されて艦隊と同じ方向を走っていた。
「いつの間に陸軍が現れたか」
と、水兵たちは驚いた。この瓜生戦隊の森山慶三郎参謀は、
「この三隻は佐世保の外港のどこかの入江に隠れていたらしく、参謀である私すら命令を受け取るまで、その存在を知らなかった。陸海の連絡の良さは実に見事だった」
と、語っている。
全ての艦隊が攻撃目標の向かって動いたが、日本海軍の中でただ一隻だけ普通な運命に置かれている軍艦があった。
三等巡洋かん千代田 (2450トン) である。
この千代田のみは群れの中におらず、この時期、外国にいた。
朝鮮の仁川にいた。仁川とは、京城 (ソウル) の外港であり、各国の艦船が多数停泊しており、むろんロシアの軍艦ニ隻もいる。
千代田の悲痛さは、オトリになったことである。日露断交の知らせは無論千代田にも打電されているが、しかしそれを戦略上ことさらに仁川に留めておいたのは、海戦による連合艦隊の秘密行動をロシアおよび他国に知られたくなかったからである。
当然、港内で日露間の海戦が行われるであろう。

京城における仁川港の役割は、東京における横浜港に相当するであろう。横浜港が幕府の開港までは一漁村に過ぎなかったように、仁川港も、明治十六年の開港までは済物浦 (サイモツボ) という漁村に過ぎなかった。また日本における最初の鉄道が東京・横浜間に敷かれたように、朝鮮の場合も明治三十三年に開通した京城・仁川間の鉄道が最初であった。
港は干満の差が激しいということのほかは、規模は雄大で、多数の船を収容することができる。
この時期も、多数いた。
軍艦だけでも英国軍艦タルボット、イタリア軍艦エルバ、フランス軍艦パスカル、などがそれぞれイカリを下ろしている。
それにロシアの二等巡洋艦ワリャーグ (6500トン) に砲艦コレーツ (1213トン) がいた。
日本は三等巡洋艦千代田が、これらの中に混じって弧艦でいる。
「千代田ほど苦しい目に遭った軍艦はない」
と、この弧艦を救出に行く瓜生戦隊の参謀森山慶三郎はあとあとまで同情している。千代田は去年十二月から居留民保護のために仁川に来ていた。
二隻の露艦も同様の任務で碇泊している。そのワリャーグは仁川にいる各国軍艦のうち最大のもので、もし戦端を開けば小艦の千代田あなどは瞬時に粉砕されてしまうであろう。
しかも悪いことに、千代田はワリャーグとは最も近い場所におり、またコレーツとの関係位置も、間に他の艦船がいない
千代田の艦長は大佐村上裕一であった。村上は沈着な男で全員に緊張を命じ、もしやむをえぬ時にはワリャーグと刺し違えて全員死ぬ覚悟を持たせた。
夜になると密かに魚雷発射管の覆いを取ってワリャーグに狙いをつけ、夜が明けると覆いをかぶせて知らぬ顔でいた。この様子をワリャーグの方でも気づき、
「千代田はけしからぬ」 と、英国海軍の艦長 (各国艦長のなかでの先任者) を通じて抗議を申し入れて来たりした。
やがて断交決定前夜の三日、カンのいい村上艦長はひょっとすると非常事態の到来が近いかも知れぬと思い。夜陰に紛れてこっそり艦を移動し、英国海軍艦の辺りまで行ってイカリを降ろした
七日になった。釜山付近で日本艦隊がロシア汽船を一隻捕まえたという電報に接し、村上はこれは開戦だと察したが、さいわいワリャーグはまだ事態を知っていない様子だった。
この夜十一時、千代田は遂に脱出を決心し、密かに低速で港口にむかいはじめたが、ワリャーグの艦首が眼前に迫り、このままでは接触するほかなさそうな状況になったとき、そばの英国軍艦が身を避けてくれた為たっと道が開き、港外に出た。

『司馬遼太郎全集・坂の上の雲A』 著・司馬 遼太郎 発行所・文芸春秋 ヨ リ