〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
2008/02/24 (日) 桐 壺 (十八)

この君の御童姿 (ワラワスガタ) 、いと変へま憂 (ウ) くおぼせど、十二にて御元服したまふ。
居起 (イタ) ちおぼしいとなみて、限りある事に事を添へさせたまふ。
一年 (ヒトトセ) の東宮の御元服、南殿 (ナンデン) にてありし儀式、よそほしかりし御ひびきにおとさせたまはず、所々 (トコロドコロ) の饗 (キョウ) など、内蔵寮 (クラヅカサ) 、穀倉院 (ゴクソウイン) など、おほやけごとにつかうまつれる、おろそかなることもぞと、とりわき仰せ言ありて、きよらを尽くしてつかうまつれり。
おはします殿の東の廂 (ヒサシ) 東向きに椅子 (イシ) 立てて、冠者 (クァンザ) の御座 (ザ) 、引入 (ヒキイレ) の大臣の御座 (ザ) 御前にあり、申 (サル) の時にて源氏参りたまふ。
みづら結ひたまへるつらつき、顔のにほひ、さま変へたまはむこと惜しげなり。
大蔵卿 (オオクラキョウ) 、蔵人 (クラウド) つかうまつる。いときよらなる御髪 (ミグシ) をそぐほど、心苦しげなるを、上は、御息所の見ましかばと、おぼしいづるに、堪へがたきを、心強く念 (ネン) じかへさせたまふ。
かうぶりしたまひて、御休み所にまかでたまひて、御衣たてまつりかへて、おりて拝したてまつりたまふさまに、皆人涙おとしたまふ。
帝はた、ましてえ忍びあへたまはず、おぼしまぎるるをりもありつる昔のこと、とりかへし悲しくおぼさる。
いとかうきびはなるるほどは、あげ劣りやと疑はしくおぼされつるを、あさましううつくしげさ添ひたまへり。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

源氏の君の可愛らしい童形 (ドウギョウ) のお姿を、成人の髪型に変えてしまうのは残念だと、帝は惜しがられましたけれど、十二歳で御元服なさいました。
帝が御自身で何くれとなくお世話をおやきになり、決まった儀式のしきたりの上に、更に重々しい儀式をさまざまお加えになるのでした。
先年、東宮の御元服が紫宸殿で行われましたが、その時の盛大だった華やかな御評判に、万事ひけを取らないようにご立派になさいました。
式の後であちらこちらでなさる御饗宴なども、
「内蔵寮 (クラヅカサ) や穀倉院 (ゴクソウイン) などが普通の公式行事の規定通りに取り扱うと、とかく疎略になりがちだから、特別に配慮するように」
と、わざわざ御注意なさり、すべてに善美を尽くし最良に調えられます。
清涼殿の東の廂 (ヒサシ) の間に、東向きに玉座の御椅子を立てて、元服する源氏の君と加冠 (カカン) 役の左大臣のお席をその前に設けます。
儀式の始まる午後三時に、源氏の君がお席につかれます。
髪を童形の角髪 (カズラ) に結っていらっしゃる可愛らしいお顔つきや清らかな頬の色艶など、元服して成人の姿にお変えするのが、ほんとうに惜しいようでした。
大蔵卿が御髪 (ミグシ) 上げの役をお務めいたします。いいようもなく美しい黒髪の端をお剃ぎする時、いかにもいたいたしそうに剃ぎかねているのを御覧になり、帝は、桐壺の更衣がもし生きていられてこれをご覧になったならと、お思いだしになるにつけてもたまらなく、涙がこみ上げてくるのを心強くも気を取り直し、耐えつづけていらっしゃいます。
源氏の君は加冠の儀式が無事に終わり、御休み所に退出されて、それまでの赤い袍 (ホウ) のご装束を成人の黄の袍にお召替えになり、階 (キザハシ) を降りて東庭で拝舞をなさいます。その言いようもなく凛々しいお姿に参列の人々は、思わず感涙にむせんでしまいました。
まして帝は、誰よりも深い感慨に耐えかねたようにお見受けされます。つい思いまぎれる折もあった昔の、亡き更衣の思い出のさまざまが、一挙にお心に立ち返ってきてお悲しみを切なく誘うのでした。
「こんな幼い年頃で元服すると、器量が見劣りするのではないか」
と、ひそかに案じていたっしゃいましたのに、光るの君の元服されたお姿は、ただもうすばらしくて、驚くばかりの愛らしさが、いっそう輝き増されているのでした。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ