〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜

 なぜ、楊貴妃なのか (三)

時代思潮を、このように、花に対する好尚で断じるのは、もとより危険である。感覚的な理解が上すべりして、ものごとの本質を見失うおそれがあるからだ。しかし、周敦頤が豪華なイメージの牡丹を愛する世人が多い中で、自分は清らかで洗練されたイメージの蓮を愛するのだ、と自覚したことは重要である。
牡丹に比べられる楊貴妃を美女の典型とした李唐 (リトウ) (李氏支配の唐代) は確実に去って、美女の典型は、宋代においては、まったく異質のものへと移っていった。
こころみに、顧?中 (ココウチュウ) 原画の 「韓熙載 (カンキサイ) 夜宴図」 を見られるがよい。五代十国のうちの南唐 (ナントウ) (937〜975) の副宰相韓熙載が夜ごとの放蕩三昧を楽しんでいるところを、南唐後主の李U (リイク) がおかかえ画家の顧?中 (ココウチュウ) にひそかに描かせたもの、といわれる。それはともかく、今日に伝わるこの絵は、十二世紀ごろの模本であり、なればこそ画中に見える美女たちの容姿が注目される。
この美女たちは、韓熙載が侍らせた妓女であること明らかであるが、顔はふっくらしているものの、すでにしもぶくれではなく、からだつきまた、ほっそり、というより、すっきりすた、あるいはすらりとした感じである。画面全体に隠微な気配は漂っているが、個々の女は、妖艶にあらず、洗練された清楚な美を帯びている。この美女たちを、牡丹にたとえることは、もはや不可能だ。・・・・
ここまで来ると、蓮を愛した周敦頤 (シュウトンイ) が異端とはいえなくなるであろう。みずからは、世人の好尚に背いていると自覚しながら、実のところ、時代風潮を感覚的に先取りしているといえまいか。
たかが女人の美というなかれ、美女の容姿の是非をめぐる時代ごとの好尚は、おそらくは、それぞれの時代の文化と相関する。美女と一直線に結ばれる花もまた、同様である。
かくして、牡丹にたとえられて楊貴妃は、たんに玄宗の寵姫 (チョウキ) として、盛唐の歴史を佳麗にいろどる名花たるにはとどまらない。一個の文化史的存在として考えられるべきであろう。
楊貴妃の伝を、諸史料の切り貼りによって書きつらねるのは容易である。しかし、私は、楊貴妃を、如上の理由によって、より抽象的にとらえてみたいのだ。

現代視点・中国の群像 楊貴妃・安禄山 旺文社発行 執筆者:中野 美代子 ヨリ