〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/05/20 (水) 坂本 龍馬 (一)

身分の壁なくすため尊皇思想に

「近藤勇」 の項でも述べたように、幕末に活躍した人々のことを知るには、その出身階級を知ることが重要である。今の日本は階級社会ではないので、階級社会の持つ意味がなかなかピンとこない。そこでどうしてもこの側面での探求がおろそかになってしまうのだ。
近藤勇は天領 (幕府直轄領) の出身で 「いざとなったら将軍様のために働く」 という意識を持っていた。しかも、天領では百姓が剣術を習うという、他の大名領では決していい顔をされないことをむしろ奨励していた。だからこそ近藤・土方が育ったのである。
一方、土佐は少し事情が複雑だ。
土地の領主山内 (ヤマノウチ) 家は関ヶ原の 「勝ち組」 であり、幕府に忠実な家柄だが、その前の領主であり関ヶ原で没落した長蘇我部 (チョウソガベ) 家に遺臣たちは、後から入ってきたこの 「山内侍」 に一段低い身分 「郷士」 として扱われた。
龍馬の家は町人郷士といって、商家出身の者が郷士身分を獲得したという形になっているが、 「先祖は歴とした武士だが今は郷士」 ということには変わりない。
封建社会というのは身分差別がやかましい世界である。そして、もう一つ大切なことは、身分の壁は普通は越えられないということだ。現代なら実力があれば出世はできる。戦国でもそれは同じだ。しかし、江戸時代はそうではなかった。 「バカ殿」 でもあくまで 「殿」 であって、優秀な人間が取って代わるというわけにはいかない。しかし、乱世になればすべては変る。
「百姓近藤」 は剣の実力によって階級を飛び越えようとした。しかし龍馬はむしろ階級そのものを無くそうとしたのだ。これが二人の大きな、そして決定的な違いでもある。
当時、そのような身分の壁を越える思想は、尊皇攘夷しかなかった。つまり 「天皇の前では将軍も大名も武士も一人の臣に過ぎない」 というもので、龍馬が初め土佐勤皇党に共感を示したのも、そのためだろう。
この当時から始まり大流行した人の呼び方に 「君 (クン) 」 というのがある。これは同士として対等ということを示す呼び方なので、左幕派の新撰組であろうと勤皇派の海援隊であろうと 「坂本君」 「中岡君」 で呼ぶということは共通していた。
少し先輩だと 「○○先生」 という呼び方になるが、こうしたところでも幕末と言うのは、それまでの江戸時代とはまったく違っていた。
だが、その龍馬が勝海舟に会い、その知遇を得ることによって、たとえばアメリカとう国では大統領を世襲ではなく人民の入れ札 (選挙) によって選ばれていることを知る。そのことを知った時の衝撃が、龍馬を変えた。この国の進むべき方向がはっきりと浮んだのである。それは組織としての藩という枠組み、武士や町人という身分の枠組みを越えた、まさに一つの国家としての日本を建設することだったのである。

『英傑の日本史 新撰組・幕末編』 著者:井沢 元彦  発行所: 角川書店 ヨ リ