〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/05/20 (水) 沖田 総司 (四)

クライマックスで喀血

沖田を倒したのが、名だたる剣客でもなければ、維新政府の鉄砲でもなく、労咳 (結核) という名の病魔であった。
現在でも不治の病というものはあるが、昔は結核に対して有効な治療法はなかった。ただ出来るだけ安静にし、滋養のある物を食べるしか、対処法はなかった。それなのに京で激務をこなしていたのだから、これが沖田の寿命を縮めたのは間違いないだろう。
新撰組をドラマ化した際、必ず演じられる 「名場面」 がある。池田屋事件の時、少人数で討ち入ったメンバーの中にいた沖田が烈しい咳と共に血を吐き、戦闘不能になるシーンである。
この時、池田屋に踏み込んだのは、近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助の四人といわれている。
なぜたった四人になってしまったのかといえば、浪士が潜伏している可能性がある場所がもう一つあり、土方が別働隊を率いて、そちらへ向かっていたからだ。近藤の隊の方が数が少なく、また浪士を逃がさないよう外の見張りを置いたため、斬り込み部隊は本当の少数精鋭になってしまったのだ。
近藤が何人いるかわからない (実際には二十人以上いた) ところに踏み込むことを決断したのは、ぐずぐずしていると感付かれる恐れがあることと、確かに切り込みの人数は少ないものの近藤以上の腕を持つ沖田がいたからだ。
ところが最大の戦力である沖田が、たった一人斬ったところで喀血してしまう。しかも、もう一人藤堂平助が額に深傷 (フカデ) を負い、流血で目が見えなくなり、これまた戦闘不能になる。
残るは近藤と永倉がけ、多勢に無勢のまま絶体絶命になったところで、土方の別働隊が戻ってくる。息を吹き返した近藤は勇躍浪士どもを叩き斬る。
── まさにクライマックスを盛り上げるために、演出されたようなシーンである。
ではlpれは本当に 「演出」 つまり 「芝居のウソ」 なのかといえば、実はそうでもないらしい。というのは、この時一緒に斬り込んだ永倉の懐旧談に 「沖田は急に持病が起こり表に出た」 という意味の言葉があるからだ。確かに結核とは書いていないが、沖田は結局その病で死んだのだから、この 「持病」 とはやはり結核のことだろう。
「血を吐いた」 と明言しているわけでもない。 「持病が再発した」 といっているだけだ。だが結核患者が 「再発」 して活動不能になるということは、おそらく喀血したのだろう、ということを誰かが推測し、それがずっと踏襲されているわけだ。
このこと自体は 「伝説」 ではないが、新撰組にはこうした伝説がつきまとっている。その、そもそもの発端は、新撰組を世に出した 「功労者」 ともいえる小説家子母澤寛 (シモザワカン) が、新撰組の印象を劇的にするために、史実に無かった創作を加えたからだ。
それにしても 「クライマックス」 に 「喀血」 するとは、沖田はやはり 「スター」 である。

『英傑の日本史 新撰組・幕末編』 著者:井沢 元彦  発行所: 角川書店 ヨ リ