〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/05/19 (火) 沖田 総司 (二)

必殺技は三段突き

「道場剣法」 というものは確かにテクニックは高まるものだ。たとえばAとBというライバルがいて、AがBに 「ある技」 で勝ったとしよう。当然Bは次の試合に向けてその 「技」 を破るための工夫をする。うまく行けばBはAに勝ち、そこで負けたAは今度はさらに新しい技を工夫する。あるいはどこかBに比べて劣っているところがあれば、そこを修練して弱点を克服する努力をする。そうすればまたAはBに勝つ。そこで負けたBは ── 、この繰り返しであり 「永遠のライバル」 などと呼ばれる。
しかし、実はこれは 「のどかな話」 であって、文字通りの真剣勝負の場合は、どちらかが必ず死ぬわけだから、こういう関係にはならない。真剣勝負は 「永遠のライバル」 ではなく 「一瞬の敵」 に勝てればいい。あの宮本武蔵が佐々木小次郎と戦った時も、当然 「次の試合」 などは考えていなかったはずである。
ということは、必殺技が一つあればいいということでもある。道場剣法ならば、相手はその技を覚えてしまうわけだから、次々に手を変え品を変えていかねばならないが、真剣勝負なら 「技」 が決まった時は、敵はあの世に行っている。もう二度と 「工夫」 する余地はない。
伝えられる沖田の必殺技は 「三段突」 である。VTRが残っているわけでもなし、図解があるわけでもない。必殺技の中身をわかりやすく説明するということは自殺行為になるから (理由はおわかいですね) そんなものは昔からない。だから仲間であり、その技を間近で見る機会があった人間の証言に頼るしかないが、それでも 「目にもとまらぬ早技であった」 という程度のものである。
ただ 「突き技」 というのは納得できる話しだ。一般に刀というものは 「斬る」 ものだと考えられているが、実際は 「突く」 方が有利だという常識があった。あの泰平の元禄の世に起こった赤穂事件 (忠臣蔵) の浅野内匠頭についてすら、その当時からあった批判は 「殺したかったのなら何故突かずに斬りかかったのか」 というものであった。特に脇差 (小刀) のような短い刀では斬るよりも突くほうが確実に相手を殺せる。明治の軍人乃木大将も浅野の行為をこの点で批判している。
「突き」 が有利な点はもう一つある。
実戦の場合においては、敵は防具をつけている、ということだ。鎧兜はいかにも大仰でも、鉢金 (ハチガネ) (兜の簡略型、ヘルメットのようなもの) や着込み (鎖帷子、鉄の鎖で織り上げた下着) は、新撰組でも常備品であった。
名人が名刀を使っても鎖帷子を着ている人間を一刀両断にすることは、まず不可能である。ところが 「突き」 ならばそれを突き破ることも不可能ではない。それに人間は体を動かさなければならないから可動部 (首など) にはどんな防具をつけても隙間がある。まさに 「付け入る隙」 があるのだ。

『英傑の日本史 新撰組・幕末編』 著者:井沢 元彦  発行所: 角川書店 ヨ リ