〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/05/19 (火) 沖田 総司 (一)

天才的な剣士

沖田総司はあることで一つ大きなトクをしている。それは後世に写真を残さなかったことだ。 そこで 「美男剣士」 という伝説が生まれた。実はこれは伝説であって真実ではない。
生き残りの隊士の証言では、色黒で頬骨が高く、 「ヒラメのような顔だった」 という証言もあるぐらいで、お世辞にも美男といえる顔ではない。
ただ、よく冗談を言うユーモアのある若者だったらしい。子供とよく遊んでいたというのもどうやらホントらしい。 「美男伝説」 ができたのは、天才的な剣士でありながら若くして結核で死ぬという薄命の人物だったからだろう。それでも近藤や土方のように写真が残っていたら、こんな伝説は生まれなかった。やはりベールに包まれているということが、伝説発生の条件かもしれない。
ではその剣の技量は実際のところdそうだったのか?。少なくとも近藤を代表とする天然理心流試衛館の仲間内では、誰も沖田に勝てなかった。近藤はその腕を見込まれて天然理心流宗家近藤周助の養子になったほどの男だが、そも近藤でも土方でも、年下の沖田にはまるで及ばなかった。近藤は自分に万一のことがあれば、天然理心流の宗家は沖田に継がせようと考えていたと言われる。
これも 「伝説」 ではないかと疑う向きもあるようだが、沖田は新撰組一番組隊長として何度も尊攘派浪士と戦い、大きなケガを負うこともなく勤め上げていることを忘れてはいけない。 「一番組」 の長といえば、外部から見ればその象徴的な存在である。逆に言えば、そうした連中のターゲットになりやすい身でもある。この時代は暗殺当たり前、戦争も珍しくない、とい物騒な時代である。その時代に、猛者ぞろいの新撰組のトップを勤め上げたことは、やはりその器量がなみなみならぬことを示すものである。
では、天然理心流とはどんな剣法なのか。
私は残念ながら実見したことはないのだが、江戸中期にはじまった極めて実践的な剣法である。道場の剣法はどうしても技の修練が主体となる。いわばテクニック中心で、それはそれなりに巧緻な芸を生むのだが、ここで問題なのは 「安心感」 である。つまりこの 「練習」 ではケガをしても絶対に死ぬことはないという感覚だ。じつはこれが問題なのである。
真剣勝負というのは、殺すか殺されるかでやり直しというものがきかない。それで当時盛んに言われたことは 「道場剣法」 では実践の役に立たないということだ。人間竹刀でなく真剣を持つと、どうしても緊張し道場での技量が出ないことが多い。では、どうすればいいのか、といえば、技量ではなく胆力の方を鍛えるしかない。天然理心流は他の流儀と違って、特にこのことにこだわっていたようなのである。

『英傑の日本史 新撰組・幕末編』 著者:井沢 元彦  発行所: 角川書店 ヨ リ