楠正成、これを最後と思いひ定めたりければ、嫡子 (チャクシ) 正行
(マサツラ) が十一歳にて父が供 (トモ)
したりけるを、桜井の宿より河内 (カハチ) へ帰し遣 (ツカ)
はすとて、泣く泣く庭訓 (テイキン) を遺 (ノコシ)
しけるは、
「獅子は子を産んで三日を経 (フ) る時、万仞 (バンジン)
の石壁より母これを投ぐるに、その獅子の機分 (キブン) あれば、教えざるに中
(チュウ) より身を翻 (ヒルガヘ) して、死す事を得ずといへり。况
(イハ) んや汝はすでに十歳に余れり。一言 (イチゴン)
耳に留まらば、吾 (ワ) が戒 (カイ)
に違 (タガ) ふ事なかれ。
今度の合戦天下の安否 (アンフ) と思ふ間、今生 (コンジョウ)
にて汝が顔を見ん事、これを限りと思ふなり。正成討死すと聞かば、天下は必ず将軍の代となるべし。しかりといへどの、一旦
(イッタン) の身命を資 (タス)
けんがために、多年の忠烈を失ひて、降参不義の行迹 (フルマヒ)
を致す事あるべからず。一族若党の一人も死に残ってあらん程は、金剛山に引き籠り、敵寄せ来たらば、命を兵刃
(ヘイジン) に墜 (オト)
し、名を後代に遺すべし。これをぞ汝が孝行と思ふべし」
と、涙を拭つて申し含め、主上 (シュジョウ) より給はりたる菊作りの刀を記念
(カタミ) に見よとて取らせつつ、各
(オノオノ) 東西に別れにけり。その消息 (アリサマ)
を見ける武士ども皆感涙をぞ流しける。
昔の百里奚 (ハクリケイ) は穆公 (ボクコウ)
晋の国を伐 (ウ) たんとせし時、軍 (イクサ)
の利なき事を鑒 (カンガ) みて、その将孟明視 (マウメイシ)
に向って、今を限りの別れを悲しむ。今の楠正成は、大敵関西 (クワンサイ)
に責め近づくと聞きて、国の必ず亡びん事を愁 (ウレ) へて、その子幼き正行を留め置き、なき跡までの義を勧
(スス) む。彼は晋代の良弼 (リヤウヒツ)
、是は吾が朝 (チョウ) の忠臣、時千載を隔つといへども、前聖
(ゼンセイ) ・後聖 (コウセイ)
一揆 (イッキ) にして、ありがたかりし忠臣かなと、感ぜぬ者もなかりけり。
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