〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/05/01 (金)  雨 の 坂 (二)

戦時編制である 「連合艦隊」 が解散をしたのは十二月二十日で、その解散式は翌日旗艦においておこなわれた。
旗艦はこの時期、敷島から朝日になっていた。朝日のまわりには汽艇が密集し、各司令長官、官長、司令などが次々に来艦してきた。
やがて解散式が始まり、東郷は、
「告別の辞」
と、ひくい声で言い、有名な 「連合艦隊解散ノ辞」 を読み始めたのである。
長文であるため引用をひかえるが、この文章の中で後々まで日本の軍人思想に影響したものをあげると、
「・・・・・百発百中の一砲、能く百発百中の敵砲門に対抗しうるを覚らば、我等軍人は主として武力を形而上に求めざるべからず。・・・・惟 (オモ) ふに武人の一生は連綿不断の戦争にして、時の平戦に由り其の責務に軽重あるの理なし、事有れば武力を発揮し、事無ければこれを修養し、終始一貫その本分を尽さんのみ。過去の一年有半、かの風濤 (フウトウ) と戦ひ、寒暑に抗し、屡 (シバシバ) 頑敵と対して生死の間に出入りせしこと、もとより容易の業ならざりしも、観ずればこれまた長期の一大演習にして、これに参加し幾多啓発するを得たる武人の幸福、比するものなし」
以下、東西の戦史の例をひき、最後は以下の一句でむすんでいる。
「神明はただ平素の鍛錬に力 (ツト) め戦はずしてすでに勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して平治に安ずる者よりただちにこれをうばふ。古人曰く、勝って兜の緒を締めよ、と」
この文章はさまざまの形式で各国語に翻訳されたが、とくに米国大統領セオルド・ルーズベルトはこれに感動し、全文を翻訳させて自国の陸海軍に配布した。
真之の文章は以上の例でもわかるように漢文脈の格調を籍 (カ) りつつ欧文脈の論理をできるだけ取りいれているため翻訳に困難がともなうということはなかった。
司馬遼太郎全集第二十五巻 坂の上の雲 (二)  著・司馬遼太郎 発行所・文芸春秋 ヨ リ