部屋の天上から長いにもが垂れて、その先にランプがぶらさがっている。児玉は、そのラ ンプの下で、小さな手帳を繰 (ク)
っている。
「詩稿かね」
と、乃木は微笑し、児玉の手帳をのぞきたそうなしぐさをした。
「あ、見ちゃいかん」
と、児玉は変にはずかしそうに、ランプの下から手帳を遠ざけた。志賀が声をあげて笑 い、児玉の背後に座っている随員の田中国重少佐までが、くすくす笑った。
「田中、なにがおかしい」
児玉は、その癖で、唇をへの字にまげたとき、遠い砲声が、つづけさまに轟いた。
「乃木よ」
と、児玉は言った。
「わしのはまだ推敲 (スイコウ) ができちょらんのじゃ。それよりおぬしから披露せい」
「わしもまだ粗稿じゃ」
と言いながら、乃木は胸ポケットから手帳を取り出した。
田中国重が、硯と紙を持ってきた。
乃木はその紙へ、みごとな筆蹟で自作の詩を書いた。
有死無生何足悲
千年誰見表忠碑
皇軍十万誰英傑
驚世功名是此時 |
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この詩は、この日、乃木が高崎山から柳樹房へ戻るまでの間、馬上で即吟していたもの である。
「これはええ」
と、児玉は心から感心した。
「ぬしの山川草気は悲傷の気が満ちちょるが、この詩はいかにも三軍の将らしく英気溌 剌 (エイキハツラツ)
たるものじゃ」
児玉は、訓 (ヨ) みくだした。
死あって生なし何ぞ悲しむに足らん
千年誰か見ん表忠碑
皇軍十万誰か英傑
世を驚かすの功名これ此の時 |
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意味、はこうであろう。
「この戦場にあっては死のみあり、生はない。が、それは少しも悲しむに足りない。どうせ 人生は短いのである。無形の表忠碑こそ先年の風霜
(フウソウ) に耐えるものではない か。皇軍十万、ことごとくが英傑であり、世を驚かす功名こそこれこのときである。・・・・」
「しかし」
と、児玉は首をひねった。
「千年誰か見ん表忠碑というのは、なにやらもの悲し過ぎるようだ。千年朽ちず (千年不 朽) とすればどうか」
と、臆面もなく言うと、乃木は素直に、
「ああ、そうかもしれん」
といって、すぐ二字を消し、千年不朽表忠碑とし、
「石樵 (セキショウ) 」
と、署名を入れた。石樵とは乃木の号で、べつに石林子とも号した。
このあと、乃木軍の軍医部長の落合泰蔵も入ってきて、大一座になった。
ちょうど、児玉が筆をとって自分の詩を書いている時であった。
「ははあ、得利寺 (トクリジ) 」
と落合はのぞきこんだ。児玉のこの詩は、彼がこの旅順にやって来るとき、車窓からかっ ての得利寺激戦の後を望見し、戦死者の墓表をはるかに見ながら、手帳に書き込んだ
ものであった。
得利寺辺
天籟 悲し
帰鴉去って復新碑を弔う
十年の恨事一朝の露
跡は雄心の落々たる時に在り |
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「どうも、結の句がうまくゆかん」
と、児玉は首をひねっている。
なるほど詩となると、児玉は乃木の比ではない。
「天籟悲し、はどうも」
と志賀重昴の覗き込んで、やや不満げであった。天籟とは風の音。新戦場を吹いてい て悲しい、では俳句で言えば月並みで通俗的であろう。帰鴉去って、というのも志賀は
どうも道具だてが型どおりである、カラスが新墓の上を飛んでいるなども噺 (ハナシ)
め いて感心せぬ、とくさしたが、ただ転句の 「十年の恨事一朝の露」 だけは、これは動か し難い句だ、と言った。
「十年の恨事」
というのは、日清戦争後、ロシアを主唱国とする三国干渉があり、日本はその列強の圧 力に屈して遼東半島を清国に還付 (カンプ)
した。そのロシアがそのあとここを清国から 強引に租借 (ソシャク)し、旅順に軍港をつくり、大連に総督府をおき、さらに南満州鉄道
をつくって領土化し、さらに朝鮮へ南下しようとした。日本の世論は激昂し、臥薪嘗胆と いう言葉が流行し、陸海軍は対露戦の戦備をととのえた。以来、十年である。十年の恨
事とはそのことを指しており、日露戦争の起因そのものを含んでいる。その恨みは得利 寺の砲火の中で燃焼し、砲煙の消えた今、十年は一朝の露でしかない、という感慨であ
ろう。
「まずいかね」
児玉は言いながら、また書きだした。書きながら、児玉は言いながら、また書きだした。書きながら、 「下手な者ほど、いくらでも出てくる」
と言い、
「旗鼓堂々鉄城を摧 (クダ) く」
と、書きはじめた。背後でそれを見ていた田中国重少佐までが内心、
(まるで小学唱歌のようだ)
と、思った。
ついでながら田中は反故 (ホゴ) の整理係りで、それらを家宝にしようと思い、ひそかにとっておいた。が、彼は児玉の詩稿のみをとり、乃木のは捨てたらしい。ところが戦後、児玉の名が世間に知られることが薄く乃木の名声が旅順の名将として世間に喧伝されるにおよび、
「乃木さんのもとっておけばよかった」
と、旅順を語る時、つねにそれを語った。田中の皮肉であったのかどうか、よくわからな い。 |