〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/04/27 (月)  二 〇 三 高 地 (二十一)

さらに 「乃木日記」 の七日のくだり。
「夜ル訪 (トウ)
とあるのは、乃木がこの夜、児玉の部屋を訪問したということである。ついでながらこの柳樹房の乃木の軍司令部の奥の一室に、児玉のための部屋が用意されていた。
訪問の理由は、この夕刻、児玉が全線から帰って来た時、
「乃木、今夜、詩会をやろうじゃないか」
と言ったからであった。乃木は内心児玉の精力に多少感心しつつ、
「やってもいい」
と、答えた。
児玉にすればまだ砲声は轟いているが戦争はヤマ場を越えた。作戦者としてはこれで落着であり、あとのことも方針を指示しておいた以上、各級指揮官に任せておけばよい。児玉はそれよりも自分の本務である煙台へ帰らねばならなかったが、乃木と別れるにあたって詩の会をして愉 (タノ) しみたい、ということであった。
さらには、乃木への同情もある。
(乃木に気の毒をした)
と、思っている。児玉は、乃木個人の面目をつぶすことによって 日本の将兵を大量死傷の惨から救い出し、連敗から一挙に勝利への軌道にのせたのだが、あとに残るのは乃木の面目であった。
まず児玉が考えているのは、
── 乃木が旅順を陥した。
ということを、内外に喧伝することであり、児玉の力によって陥ちたということは、永久に秘密にしなければならない。こにため、児玉は自分の旅順行きの任務も内外記者団ににはいっさい偽装し
── 陣中見舞いだ。
ということにしてきた。またこのあと軍司令部参謀に対し。
「自分のこのたびのお節介は統帥上、多少問題があるだろう。これが先例になっては困るので、戦後といえども公表することは憚 (ハバカ) られたい」
と念を押した。
あくまでも旅順攻撃の名誉は乃木が負うべきであり、この点、児玉は東京にいる総参謀長の元帥や山県有朋にも言っておくつもりであった。
児玉は、若いころからの友人である乃木に対し、きわめて細心な心くばりをしていた。が、児玉はこの戦後、乃木が海軍の東郷とともに救国の英雄として世間に出現しようとは、そこまで想像できなかったし、また英雄になった乃木の姿を見ることも出来なかった。なぜならば、児玉はこの戦いが終了した翌年に死んでいるのである。むろん児玉の性格からすれば、たとえ乃木のその世間象を見たとしても、べつだんの他意はいだかなかったであろう。
この夜、乃木に
── 二人で詩会をやろう。
と言ったのも、児玉の愉しみとは別に、彼の心くばりの一つであったともいえる。
乃木は作戦において破れた。が、詩人としての乃木は児玉よりもはるかに優越していた。児玉にすれば詩会をやって詩人としての乃木を慰撫しようとしたのかも知れない。この両人の長州人としての友情のあつさは、後世の人間の想像を越えたものがあるようであった。乃木は作戦において破れた。が、詩人としての乃木は児玉よりもはるかに優越していた。児玉にすれば詩会をやって詩人としての乃木を慰撫しようとしたのかも知れない。この両人の長州人としての友情のあつさは、後世の人間の想像を越えたものがあるようであった。

司馬遼太郎全集第二十五巻 坂の上の雲 (二)  著・司馬遼太郎 発行所・文芸春秋 ヨ リ