〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/04/26 (日)  二 〇 三 高 地 (二十)

児玉はその表情のまま豊島少将の反対理由を聞いていたが、やがて、
「では、どうするというのだ」
と、反問した。
豊島陽蔵という、砲兵の権威は、それについての回答も用意していた。
見事な回答であった。
「その艦砲の報復射撃による被害を少なくするため、二十八サンチ榴弾砲をはじめ各種 重砲のまわりを徐々に鉄板で囲み砲牆 (ホウショウ) を築きます」
「徐々に、とはどういう意味だ」
「はい、鉄板の制作と砲牆の構築のためにどうしても三日の余裕がほしいのであります」
「豊島よ」
児玉はなだめるように言った。
「貴官は疲れてるのだ。そういう砲牆づくりは、戦 (イクサ) が終ってからやれ、今は戦の 最中だ」
と、児玉は声を低くしていったが、じつは飛びあがって怒鳴りつけたいほどの衝動をおさ えかねていた。
「命令」
と、児玉は声をあらてめた。児玉には命令権などはない。
軍司令官たる乃木のみにある。豊島は、よほどそれを言おうとした。しかしそれを言うだ けの勇気がなかった。そのうち、
「命令」
と、児玉が、おっかぶせるようにして、再度叫んだ。豊島はやむなくそれを受けるべく姿 勢を正した。
「攻城砲兵司令官は二十八サンチ榴弾砲をもって、ただちに旅順港内の敵艦を射撃、 これをことごとく撃沈せよ」
(そういうことが、できるものか)
と思いつつも、豊島は掩堆壕の中に設備された電話機にとりつき、それを各部署に対し て命じた。
その後、十分後に、二十八サンチ榴弾砲の陣地から殷々と砲声が響き始めたのである 。
その砲声のすさまじさは、地に亀裂を走らしめんばかりの物凄さであった。
その命中精度は、百発百中であったと言っていいであろう。
港内に座り込んでいた軍艦のうち、まず戦艦ポルターワ (10960トン) の艦上に落下しそ の甲板を貫き、弾薬庫において爆発し、大火災をおこしつつ沈み始めた。
さらに旅順艦隊の代表的戦艦であるレトウィザン (12902トン) につづけさまに八発が命 中し、座乗していたウィーレン提督に重傷を負わせた。
ついでながら、この砲撃はこのあと連日おこなわれ、数日のちには戦艦セヴァストーポリ と数隻の小艦艇を除くほか、四隻の戦艦、二隻の巡洋艦その他十数隻の小艦艇を撃沈 もしくは破戒し、さらに港内にある造船所を粉砕し、艦艇を二度と修理することが出来な いようにし、あわせて市街地を砲撃した。

司馬遼太郎全集第二十五巻 坂の上の雲 (二)  著・司馬遼太郎 発行所・文芸春秋 ヨ リ