〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/04/26 (日)  二 〇 三 高 地 (十四)

一座の沈黙は、なおも続いた。
そのなかにあって、児玉はあごをあげて、窓を見つめている。彼も、沈黙を続けた。彼に はこの一座の沈黙が、どういう意味であるかがわかっていた。まず、
── 児玉は、乃木閣下の統帥権を犯している。
ということであろう。次に、
── 重砲についての認識が皆無である。
といことにちがいない。
さらには、乃木軍の司令部幕僚は、その幕僚としての領域を犯されたという、官僚特有 のグループ意識が、児玉のこの不合理な闖入 (チンニュウ) に反撥していた。
この沈黙の底にあるそういうたけだけしい叫喚 (キョウカン) を、児玉の頭脳と肌は十分 に感じていた。が、児玉は、この一団と戦うことによってのみ、日本国家は救われると覚 悟していた。
児玉が煙台の司令部を出るとき、遺書を書いて行李の底に秘めておいたが、その死は ステッセルの弾にやられることだけが、予想される契機ではあるまいと思っていた。場合 によっては、軍司令部内部において、不測の事態が起こるかもしれない。戦闘中の軍司 令部と言うのは、日常の感覚ではとらえられない激情に人間が支配されることがある。
「なにか質問はないか」
なければ、命令の細部に入るつもりであった。はたして、立ち上がる者があった。
(伊地知か、豊島か)
と児玉は思ったが、そういう少将級の人間は、こういう座で軽率はしない。
奈良という砲兵少佐と、前記の佐藤という同じく砲兵の中佐が、こもごも立ち上がって、 児玉に猛然と反撃してきたのである。
「重砲陣地の速やかな移動などは不可能であります」
というのが、奈良の意見であった。
児玉は、信じなかった。
かれはかって、東京の大本営が、東京湾の要塞砲である二十八サンチ砲を旅順に送ろ うとした時、伊地知参謀長が、
「要塞砲というものは、その砲床工事のベトンが乾くだけでも一、二カ月を要する。そうい う無用の長物を持ち込んでもらっても役に立たない。送るに及ばない」
と、返事をしたが、東京では強いてこれを送った。ところが東京から現地に出張した横田 砲兵大尉指揮の砲床構築班は、わずか九日でこの据え付けを終わらしてしまった。伊 地知をはじめ旅順の砲兵専門家が、こぞって不要としたこの二十八サンチ砲が、今のと ころステッセルを戦慄させている最大の威力になっている。
今の乃木軍司令部のもとで咆哮 (ホウコウ) しているこの巨砲は、十八門あった。のち、 東京の参謀本部次長長岡外史は、
「じつに同砲は、旅順陥落の偉勲者の一つとして永く記念せねばならぬ」
と、書いている。
児玉は、奈良をおさえ、
「命令、二十四時間以内に重砲の陣地転換を完了せよ」
と、大声でどなった。結果からいえば、児玉の命令どおり、二十四時間以内に重砲は二 〇三高地の正面に移されたのである。

司馬遼太郎全集第二十五巻 坂の上の雲 (二)  著・司馬遼太郎 発行所・文芸春秋 ヨ リ