〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/04/22 (水)  広瀬武夫の最期 (二)

じつはそのポリス・ヴィルキツキーという青年のその後とその所在を広瀬は知っていたのである。
ヴィルキツキーはその後少尉に任官した。
彼が配属されたのは戦艦である。彼にとって降伏であったかどうかは別として、その戦艦はロシア海軍最大最新のツェザレウィッチ (12912トン) であり、同少尉が配属されてほどなくこの艦は東洋に回航され、旅順港に入ったのである。 開戦前の年の暮れであった。
ポリス・ヴィルキツキー少尉は、さっそく広瀬との約束をまもり、広瀬がいるであろう佐世保に手紙を書いた。
「私は旅順にいます。戦艦ツェザレウィッチの乗組員です」 という文面だった。
広瀬はこの手紙を佐世保碇泊中の戦艦朝日の水雷長室で読み、露都時代、彼にやさしかったすべての人々を思い出して感慨無量だった。とくに彼の生涯にとってたった一人の女性であったアリアズナのことをおもった。記憶力のいい広瀬は、アリアズナが彼に送った愛の詩をすべて暗誦することが出来た。 この時期、広瀬は多忙で、旅順にいるヴィルキツキー少尉に返事を書くことが出来なかった。
その直後、開戦になった。
戦艦ツェザレウィッチの不幸は、開戦早々におこなわれた日本軍の水雷夜襲で、艦底をやぶられ擱座したことである。
その水雷夜襲の翌九日、日本の連合艦隊が旅順口外に接近、戦艦群の巨砲による六千メートルの遠距離射撃によって港口付近のロシア艦隊を砲撃したが、広瀬の朝日もこれに参加した。広瀬は艦上から敵のツェザレウィッチをさがしたが、前面に大破して傾き座礁している戦艦レトウィザンがじゃまになってよく見えなかった。
ヴィルキツキー少尉は、浅瀬にあぐらをかいた新造戦艦にいる日本の連合艦隊がやってきたとき、擱座しながらもこの艦は舷側の六インチ砲を間断なく撃ちあげた。露都時代広瀬とヴィルキツキーがひそかにおそれたその現実がやってきたのである。
広瀬はいま、閉塞船報国丸の船長室にいる。手紙を書いている。
まず、かれが地上でふたたび会うことはないであろうしの愛人アリアズナに書いた。彼女への手紙の文面は、いまは知るすべもない。
ついで旅順にいる、ポリス・ヴィルキツキー少尉に書いた。この手紙の内容は、わかっている。広瀬が者手紙を書いているとき、たまたまロシア時代に一時おなじだった朝日の加藤寛治少佐がやってきたので、広瀬がその内容を話したのである。
「いま不幸にして貴国と砲火を交わす関係になったことはまことに残念である。しかしわれわれはそれぞれの祖国のために働くのであり、個人としての友情には少しも変わりがない。私はすでにさる九日、軍艦朝日にあって貴国艦隊を熱心に砲撃した。それさえ互いの友情からみれば尋常ではないが、いままた閉塞船報国丸を指揮し、旅順港口を閉塞しようとしてその途上にある。わが親しき友よ、健かなれ」
この手紙は通信艦に托され、数ヶ月の後中立国経由で同少尉の手に届いた。

『坂の上の雲 (三)』 著者・柴 遼太郎 発行・文芸春秋  ヨ リ