〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2008/10/04 (土) 金色夜叉 ・ 第八章 E

貫一は雫 (シズク) する涙を拂 (ハラ) ひて、
「お前が富山へ嫁く、それは立派な生活をして、榮曜も出來やうし、樂も出來やう、けれども那箇 (アレダケ) の財産は決して息子の嫁の爲に費さうとて作られた財産ではない、と云ふ事をお前考へなければならんよ。愛情の無い夫婦の間に、立派な生活が何だ!榮曜が何だ!世間には、馬車に乘って心配さうな青い顔をして、夜會へ招れて行く人もあれば、自分の妻子を車に載せて、其を自分が挽いて花見に出掛ける車夫もある。富山へ嫁けば、家内も多ければ人出入も劇 (ハゲ) しく、従って気兼ねも苦労も一通の事ぢゃなかろう。其中へ入って、気を傷めながら愛しても居らん夫を持って、それでお前は何を楽しみに生きてゐるのだ。然 (サウ) して勤めて居れば、末には那 (ア) の財産がお前の物になるのかゐ。富山の奥様と云へば立派かも知れんけれど、食ふ所は今の雀の十粒か二十粒に過ぎんのぢゃないか。設 (ヨシ) んば那 (ア) の財産がお前の自由になるとした所で。女の身に何十萬と云ふ金が如何 (ドウ) なる、何十萬の金を女の身で面白く費 (ツカ) へるかい、雀に一俵の米を一度に食へと云ふやうなものぢゃないか。男を持たなければ女の身は立てないものなら、一生の苦樂他人に頼 (ヨ) るで、女の寶とするのは其夫ではないか。何百萬圓財が有らうと、其夫が寶と爲るに足らんものであったら、女の心細さは、なかなか車に載せて花見に連れられる車夫の女房には及ばんぢゃあるまいか。
聞けば彼 (カノ) 富山の父と云ふものは、内に二人外 (オモテ) に三人も妾を置いてゐる云ふ話だ。財の有る者は大方 (オホカタ) 那樣眞似 (ソンナマネ) をして、妻は些 (ホン) の床の置物にされて、謂はば棄てられて居るのだ。棄てられて居ながら其愛されて居る妾よりは、責任も重く、苦労も多く、苦 (クルシミ) ばかりで樂 (タノシミ) は無いと謂って可い。
お前の嫁く唯繼 (タダツグ) だって、固 (モト) より所望 (ノゾミ) でお前を迎 (モラ) ふのだから、當座は随分愛しも爲 (ス) るだらうが、其が長く續くものか、財が有るから好きな真似も出來る、他の樂に気が移って、直 (ジキ) にお前の戀は冷 (サマ) されて了 (シマ) ふのは判って居る。其時になってのお前の心地を考へて御覧、那の富山の財産が其苦しみを拯 (スク) ふかい。家に澤山の財が在れば、夫に棄てられて床の置物になって居ても、お前はそれで樂 (タノシミ) かい、滿足かい。
僕が人にお前を奪られる無念は謂ふまでも無いけれど、三年の後のお前の後悔が目に見えて、心變した憎いお前じゃあるけれど、猶且 (ヤッパリ) 可哀さうでならんから、僕は眞實で言ふのだ。
僕に飽きて富山に惚れてお前が嫁くのなら僕は未練たらしく何も言はんけれど、宮さん、お前は唯立派な所へ嫁くといふ其ればかりに迷はされて居るのだから、其は過ってゐる、其は實に過ってゐる、愛情の無い結婚は究竟 (ツマリ) 自他 (ジタ) の後悔だよ。今夜此塲のお前の分別一つで、お前の一生の苦樂は定まるのだから、宮さん、お前も自分の身が大事と思ふなら、又貫一も不便 (フビン) だと思って、頼む!頼むから、もう一度分別を爲直 (シナホ) してくれないか。
七千圓の財産と貫一が學士とは、二人の幸福を保つには十分だよ。今でさへも随分二人は幸福ではないか、男の僕でさへ、お前が在れば富山の財産などを可羨 (ウラヤマシ) いとは更に思はんのに、宮さん、お前は如何 (ドウ) したのだ!僕を忘れたのかい、僕を可愛くは思はんのかい。」

著・尾崎 紅葉  刊行・日本近代文学館 総発売元・ほ る ぷ