〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
2007/12/31 (月) 魚 歌 水 心 (一)

潮は上げている旺 (サカリ) だった。
海峡の潮路は、激流のように迅い。
風邪は追手。
赤間ヶ関の岸を離れた彼の小舟は、時折、真っ白なしぶきをかぶった。佐助は、今日の櫓を誉れと思っていた。漕ぐ櫓にも、そうした気ぐみが見えた。
「だいぶかかろうな」
逝くてを眺めながら、武蔵が言う。
舟の中ほどに、彼は、膝広く坐っていた。
「なあに、この風と、この潮なら、そう手間はとりません」
「そうか」
「ですが ── だいぶ時刻が遅れたようでございますが」
「うむ」
「辰の刻は、とうに過ぎました」
「左様 ── すると船島へ着くのは」
「巳の刻になりましょう。いや巳の刻過ぎでございましょうよ」
「ちょうどよかろう」
その日 ──
巌流も仰ぎ、彼も仰いだ空は、あくまで深い碧さだった。そして長門の山に白い雲が、旗のように流れているほか、雲の影もなかった。
門司ヶ原の町屋、風師山 (カザシヤマ) の山の皺も、明らかに望まれた。そこら辺りに群れ上って、見えぬものを見ようとしている群集が、蟻のかたまりのように黒く見える。
「佐助」
「へい」
「これを貰ってよいか」
「何です」
「船底にあった櫂の割れ」
そんな物 ── 要りはしませんが、どうなさいますんで」
「手頃なのだ」
武蔵は、櫂を手に取っていた。片手に持って、眼から腕の線へ水平に通して見る。幾分、水気を含んでいるので、気の質は重く感じる。櫂の片刃に削げが来て、そこから少し裂けているので、使わずに捨ててあった物らしい。
小刀を抜いて、彼は、それを膝の上で、気に入るまで削り出した。他年のない容子である。
佐助でさえ、心にかかって、幾度も幾度も赤間ヶ関の浜を ── 平家松のあたりを目じるしに ── 振り向いたことなのに、この人には、未盡、後ろ髪をひかれる風は見えない。
いったい、試合などへ臨む者は、皆、こういう気持ちになるものだろうか。佐助の町人から観た考えでは、あまりにも冷た過ぎるようにさえ思える。
櫂が削り終えたとみえ、武蔵は袴や袂の木屑を払って、
「佐助」
と、また呼ぶ。
「── なんぞ、着る物はあるまいか、蓑でもよいが」
「お寒いのでどざいますか」
「いや舷からしぶきがかかる。背中へかけたいのだ」
「てまえの踏んでいる艫板 (トモイタ) の下に、綿入れが一枚、突っ込んでありますが」
「そうか、借りるぞ」
佐助の綿入れを出して、武蔵は背へ羽織った。
まだ船島は、霞んでいた。
武蔵は、懐紙を取り出して、紙縒 (コヨリ) を作り始めた。幾十本か知れぬほど縒っている。そしてまた、二本縒にないあわせて、長さを測り、襷にかけた。
紙縒襷というのは、むずかしい口伝があるものとか聞いていたが ── 佐助が見ていたところでは、ひどく無造作に見えたし、また、その作り方の迅いのと、襷にまわした手際のきれいなのに、目を見張った。
武蔵は、その襷に、潮のかからぬよう、ふたたび、綿入れを上から羽織って、
「あれか、船島は」
はや間近に見えて来た島影を指して訊ねた。

「いえ。あれやあ母島の彦島でございます。船島は、も少し行かないと、よくお分かりになりますまい。彦島の東北に、五、六町ほど離れて、洲のように平たく在るのがそれで ── 」
「そうか。この辺りに、幾つも島が見えるので、どれかと思うたが」
「六連 (ムヅレ) 藍島 (アイジマ) 、白島 (シラシマ) など・・・・・その中でも船島は、小さい島でございます。伊崎、彦島の間が、よくいう音戸 (オンド) の迫門 (セト) で」
「西は、豊前の大里の浦か」
「左様でございます」
「思い出した ── この辺りの浦々や島は、元暦の昔、九郎判官殿や、平の知盛 (トモモリ) 卿などの戦の跡だの」
こういう話などしていて一体いいものだろうか。自分の漕ぐ櫓に、舟が進んで行くにつれ、佐助は、ひとりでに先刻から、肌に粟を生じ、気は昂まり、胸は動悸してならないのである。
自分が試合するのではなし ── と思ってみても、どうにもならなかった。
今日の試合は、どっち道、死ぬか生きるかの戦である。今乗せて行く人を、帰りに乗せて帰れるかどうか ── 。乗せてもそれは、惨たる死骸であるかも知れないのだ。
佐助には、分からなかった。武蔵のあまりにも淡々とした姿が。
空をゆく一片の白雲。
水をゆく扁舟の上の人。
だが、佐助の眼にも、そう怪しまれるほど、武蔵は、この舟が目的地へ赴くあいだ、何も考えることがなかった。
彼はかって、退屈というののを知らずに生活して来たが、この日の、舟の中では、いささか退屈をおぼえた。
櫂も削ったし、紙縒も縒れたし ── そして考える何事も持たない。
ふと。
舷から真っ蒼な海水の流紋に眼を落として見る。深い、底知れず深い。
水は生きている。無窮の生命を持っているかのようである。しかし。一定の形を持たない。一定の形に囚われているうちは、人間は無窮の生命は持ち得ない。 ── 真の生命の有無は、この形体を失ってからの後のことだと思う。
眼前の死も生も、そうした眼には、泡沫に似ていた。 ── が、そういう悄然らしい考えがふと頭をかすめるだけでも、体じゅうの毛穴は、意識なく、そそけ立っていた。
それは、ときどき、冷たい波しぶきに吹かれるからではない。心は、生死を離脱したつもりでも、肉体は、予感する。筋肉が緊まる。ふたつが合致しない。
心よりは、筋肉や毛穴が、それを忘れている時、武蔵野の脳裡にも、水と雲の影しかなかった。

「 ── 見えた」
「おお ── ようやく、今頃」
船島ではない、そこは彦島の勅使待 (テシマチ) の浦であった。
約三、四十名の侍が、漁村の浜辺にむらがって、先刻から海上をながめ合っていた。
この者達は皆、佐々木巌流の門人であり、その大半以上が、細川家の家中であった。
小倉の城下に、高札が立つと直ぐ、当日の船止めの先を越して、島へ渡ってしまったのである。
(万が一にも、巌流先生が敗れたときは、武蔵を、生かして島から帰すまいぞ)
と、密かに、盟を結んだ輩が、藩の布令 (フレ) をも無視して、二日も前から、船島へ上がって今日を待ち構えていた。
だが、今朝になって、
長岡佐渡、岩間角兵衛などの奉行や、また、警備の藩士たちがそこへ上陸するに及んで、すぐ発見され、きびしく不心得を諭されて、船島から隣の島の ── 船島の勅使待へと、追い払われてしまったものだった。

吉川英治全集 『宮本武蔵 (四) 』 著・吉川 英治 発行所・講談社 ヨ リ