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2007/05/29 (火) 近代国家と “圧搾空気” ・ 教育勅語 (四)

当時の日本の文章を考えてみますと、相当やわらかい、いかにも日本人らしい文章もそろそろ出始めていたときでした。まだ夏目漱石 (1867〜1916) や正岡子規 (1867〜1902) は学生期を終えたか終えないかぐらいの時ですから、文章日本語を成立させる、あるいは刺激するような文学活動はまだ起こしていません。しかし、それなりにいい文章があった。いい文章があったのですが、そこににわかに漢文が現れた。
ここに教育勅語があります。こうして見れば、懐かしいものですね。

ちん おもこう こう そう くにはじ ムルコトこう えんとく ツルコトしん こう ナリ」
なんじ しん みん こうけい ていゆうふう あい ほう ゆう あい しんきょう けん おの レヲはく あい しゅうおよ ホシ」
明治二十三年であります。
いま大日本帝国憲法の成立とひとつのセットとして教育勅語は起草されたと言いましたが、それにしても難しい漢文ですね。このような漢文の読み下しそのままのものは、いくら当時の硬い文章の時代であっても少ない。
難しいというよりも、外国語なのです。漢文はあくまでも外国語であり、読み下したときには日本語になります。しかし、音で読むと中国語の文章というものは、なかなか耳だけでは意味を察し難いのです。
もう一つのサンプルとして、福沢諭吉 (1834〜1901) の文庫本をひとつ持ってきました。
明治五年 (1872) に出版が始まった 『学問のすすめ』 です。
福沢諭吉という人は、明治初年の太政官政府において、やはり巨大な公人でした。彼は官職にはつきませんが、世界に通用する日本の大知識人であり、しかも新しい国とはこうあるべきだということを、つくり方から内容まで知っている。そういう雰囲気のある人として明治政府は見ていました。
政府は福沢諭吉を明治政府の嫌いな民権論者とは見ていませんし、一時期は文部省のお役人が三田に色々なことを聞きにいくものですから、
「文部省は三田にあり」
とまで言われた。それだけ福沢諭吉は重んじられていた人であります。
それにしても 『学問のすすめ』 とは粋な題ですね。学問のすすめといいながら、国のつくり方を書いています。
まず、政府とは何かということについて、
「国民の名代」
と言っています。名代とは面白いですね。上にあるものではなくて、国民に代わって色々なことをするものだ、国民が主であって、その名代なんだということですね。
「名代にて、国民の思うところに従い事をなすものなり。その職分は罪ある者を取り押さえて罪なき者を保護するより外ならず」
簡潔ですね。
政府というものは罪あるやつを捕まえる、罪のない人を大事に保護する、これが政府なんだ。非常に明快であります。
「政府は国民の総名代」 という言葉も使っていますね。 「政府の費用」 という言葉を使わず 「政府の入用」 と書いてある。
「政府の入用をば悉皆国民より賄うべしと約束せしことなり」
つまり、政府の入用 (費用) は国民に賄ってもらっている。そしてその仕事は、要するに国民を保護することだ。国民の中にも国民の生活を脅かす人が出てくる場合にはそれを捕まえる。そのために政府があるんだと、そして先ほど言いました圧搾空気についても福沢は考えているようですね。
佐倉惣五郎 (生没年不詳、江戸前期の百姓一揆を指導。宗吾とも呼ばれる) の名前を挙げて、それをどうやら圧搾空気の代わりにするような感じがあります。
『学問のすすめ』 の中に、やや大急ぎで書かれた条があります。
「人民の権義を主張し正理を唱えて政府に迫りその命を棄てて終わりをよくし、世界中に対して恥ずることなかるべき者は、古来ただ一名の佐倉惣五郎あるのみ」
佐倉惣五郎は千葉県に出てきた江戸時代の義民ですね。百姓のために大いに走り回り、お上の不条理と闘った、多分に伝承的な人物であります。
人民の権義とは権利・義務のことですね。つまり、日本の長い歴史の中で、人民の権利・義務、これを主張し、正しい道理を唱えて政府に迫った。結局、命を捨てる事になったけれど、皆から慕われている。そいういう義人は佐倉惣五郎があるだけだと。
西洋にはマータダムという言葉がありますね。殉教者、あるいは大勢のために命を捨てる人という意味だと思いますが、福沢はそのことを考えたのでしょう。
そういう人がたくさんいる国でなかったら駄目なんだと。それがつまり新しい国の圧搾空気なんだと。そういう人をたたえる事が必要であり、これまでの日本の歴史では佐倉惣五郎がいるだけだと考えた。
日本の歴史の中で偉いと言われてきた江戸時代の赤穂浪士だとか、 『太平記』 に出てくる楠木正成 (生年不詳〜1336) だとか、そういう人々を福沢は評価しません。彼らは自分の主人のために命を捨てたわけであり、平素、禄を貰っている主人のために命を捨てるのは当たり前のことだと言っています。
この殉教者的な、皆のために命を捨てるという、当たり前でない人だけを評価した。それは佐倉惣五郎しかいない。これをみな思わなければいけない。おそらく福沢という人は、これをもって圧搾空気の種にしたかったのだろうと思います。
しかし福沢は、新しい国家の圧搾空気について、この議論を大きく展開したことはありません。ただこの数行があるだけです。それほど圧搾空気というのは、つくりにくいものなのです。
『昭和という国家 』 著・司馬 遼太郎 発行所・日本放送出版協会 (NHK出版) ヨ リ