〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2007/05/29 (火) 近代国家と “圧搾空気” ・ 教育勅語 (三)

ちょうど明治憲法が出来上がるのも同じ時期ですね。ここは難しいところでありましてね、明治二十二年に日本は国民国家が成立したと考えていいと思います。
少なくとも憲法を持ったわけですから、立憲弧かが成立した。
そしてこれを境にして、それまでの自由民権運動が衰え始めました。
要するに自由民権運動は憲法を望むための運動だったといていいと思うのですが、伊藤博文 (1841〜1909) がいち早く先手を取った。先に政府が憲法を出したことで、自由民権運動の炎は衰えていった。
こうして憲法によって国家が、立憲国家が出来上がった。
国家を建物に例えてみましょうか。地面に、お尻をぺちゃっと据えたようには、家屋は建てられませんね。色々な基礎工事が必要です。
国家成立のイデオロギーというと言い過ぎであります。精神というと言い足りない感じがあります。
フランス革命を起こして共和国をつくったフランスにおいて、なにかそれなりの圧搾空気がありました。国家の圧搾空気のようなもの、それが必要なのです。日本の場合、その圧搾空気として、明治二十三年、当時の人々もおそらくうんざりしていただろう朱子学が、教育勅語としてもう一度戻ってきたのであります。
教育勅語について、伊藤博文は反対の立場にいたようですね。
「また儒教に戻るのか」 と思ったのでしょう。
ヨーロッパの近代的な国々を成立させた圧搾空気はキリスト教ですね。
カトリックであってもプロテスタントであってもいいのですが、プロテスタントの方が近代に入りやすかったようです。自律的で、個人がしっかりしましょうということが、プロテスタンティズムの基本です。この圧搾空気の上に近代国家をのせていた。
日本はどうでしょうか。
キリスト教は大きな影響力をもてず、仏教や儒教は奈良朝以来ずっと存在してはいました。たしかに奈良朝国家のように仏教の上に成立した時代もありましたが、昔の話ですね。
明治二十二年に成立した立憲国家としては、やはり圧搾空気は別に求めるべきだったと私は思います。
しかし、大日本帝国憲法はきちんとした立憲憲法ではありますが、同時に自由民権運動があまりに盛んになると困るという事情のもとでつくられた。
いまや自由民権運動は衰えたとはいえ、政府に不安はあったのでしょう。
伊藤博文も自由民権運動を防ぐためにつくったという目的意識においては同じです。反対ではありましたが、圧搾空気のほうは元田永孚でいくかという、いわばバランスをとろうとする流れは確かにあった。こういう事情のもとに教育勅語というものが出来たわけです。
教育勅語の文章を原稿にする時、おそらく元田永孚は漢文で書いたと思うのです。その後に返り点、送りがなをつけ、ようやく日本語化した文章になったわけです。

『昭和という国家 』 著・司馬 遼太郎 発行所・日本放送出版協会 (NHK出版) ヨ リ